無気力な私は生きてていいの?
私は意思が弱くやりたいことも特になければ興味があることも特にありません。
自分はどんな人間になりたいのか未来を考えたくありません。
「死にたい」が口癖になってしまいました。
こんなにぼんやりと生きてていいのでしょうか。
私はやりたいと思うことが見つかるのでしょうか。
話す力が無くて人と関わることもうまく出来ません。生きてる意味ありますかね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この世のすべてのものが生きてていいから生まれてきたんです。
生きてていけないなら生まれてもこないでしょう。
世間は無限に向上、発展、進化。
こんなんばっかり求めてきます。
それに対して仏教は
『出世間』の教えです。
世間から一歩距離を置くんです。
ホームレスになりなさい!
と勧めてるんじゃないですよ。
価値観を押し付けてくる世間から
一歩距離を置いて、
向上しなくていいじゃない。
発展しなくていいじゃない。
進化しなくていいじゃない。
そういう視点もあるんですよ。
人はみな生まれてきていいから生まれてきました。
それぞれがそれぞれのままで。です。
サイズの合わない靴を履いたとき、
『この靴私にサイズ合ってないなぁ』
と思うのに
こと『世間』になると
『サイズの合わない私がおかしい』
となるんですね。
もともと世間はサイズの合わないものですよ。万人が合わない靴なんです。
無理していては靴ズレで痛くて歩けなくなりますよ。
あなたはあなたのままでいい。
無気力なときは無気力でいい。
だれがなんと言おうとあなたは生きていていいから生きているんです。
プラスの風を送り込んで行きましょう(^-^)
禅の世界では過去、現在、未来は連続する一繋がりのものではなく、それぞれが単体で存在するものと考えます。
ですから、
今日、死にたいと思っている貴女も、やりたいことが無い、興味を示せるものが無い、会話力云々と言っている貴女も、明日になればもはや昨日の貴女(過去の貴女)
つまり、滅んだ(死んだ)も同然、貴女の願い叶ったりです。
そして明日の貴女は今日の貴女を脱した新たな心持ち、フレッシュな状態。
毎日が新しい貴女なのです(^-^)
その積み重ねが生きる事なのです。
その事に気付き、感じ、毎日を過ごしてみて下さい(^-^)
何かをしても、無気力で何もしなくても、その1日は同じ1日…だったら何かした方が得だと思いませんか?
このhasunohaにご質問された事を機に自己改革にチャレンジしてみましょう!
思うに、やりたいことが無い、興味を示すものが無い事の原因となる1つとして「会話力が無く人と関わる事が苦手」な面があげられるのではないでしょうか。
全てはこの部分の改善次第で上向きになると思います。
私達お坊さんは法話をつくる際、只仏教的な要素を入れるだけでなく、時事ネタや芸能ネタ、使えそうなネタを様々なアンテナを張り巡らせて新聞、読書などを通して常に探しているのです。
元々私も会話が得意ではなかったのですが、この法話をつくる際の情報収集が功を奏して、そこから得た話題を最初の頃は振るだけ振って後は聞き手に回る方法で徐々に慣らし、口数を増やせるようにしておりました。
貴女も最初は話題を振るだけ振ってみて、後は無理せず聞き手に徹すれば良いのです、慣れてくれば私同様に少しずつステップアップして行けば良いと思いますよ(^-^)
その為に貴女も様々なアンテナを張り巡らせる事です。
又、出来るだけ人と接する機会を多く設ける事も会話力アップに繋がるでしょう。
何よりもアンテナを張る事で「やりたいこと」「興味を示す対象」を見つける事にもなり、それが更には将来の自分を見つけるキッカケにもなるのではないでしょうか?
今は心にちょっとずつプスプスッと穴をあけ風穴を作る時なのです。
ゆっくりプラスの風を心に送り込んであげて下さい。