hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

何も持っていない自分

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

お世話になっております。
以前から同じような質問をしていまい申し訳ありません。

私は一度教員を目指し、非常勤講師として学校で働いたのですが、日々どうしようもない苦しみを感じ、職を辞してからフリーターとして暮らしてきました。

最近、少しだけ交流のあった大学の学部の先輩が、助教になったことを知りました。

それから数日間たった今、自分はその立場の差に敗北感を感じ続けています。

先輩は自分が燻っていたこの数年の間に努力を重ねて立派な座を勝ち取ったのでしょう。

それに比べて自分は必要最低限のアルバイトしかせず、だらだらと日々を過ごしてきてしまいました。自分は本当に再来の怠け者だと感じます。

何か自分の出来ること、やりたいことはないかと自問自答を繰り返してきましたが、何も見つかりません。

そして、自分も先輩のように、学問に没頭していたら良かったのかもしれない、という考えが頭をよぎってしまいます。

学問への意欲はあったものの、院に進むことの不確実さに怯え、別の道を選んでしまいました。
今更何を言っているんだと自分でも思います。

また、そのような感情と同時に、自分の今の状況の悪さから、生きることへの怖さを感じています。

朝起きると、自分がみじめに感じ、どうしてこうなってしまったんだろうと悲しくなります。

そして、このまま自分はどうなってしまうのかという不安で夜もあまり眠れず、将来の自分の姿を想像しては絶望します。

教員時代も苦しくて、本当に人生つらいことばかりだと思ってしまいます。

私はどうしたらこの苦しみから逃れられるのでしょう。

2024年10月11日 3:40

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失敗は失敗ではなく、失敗は次に活かす力です。

拝読させていただきました。

過去に起きた多少なりとも悔やみとなる思いや、他人が向上され結果が良き方向に向かうことを耳にするなど、現在80億人という人口を考えるとキリがありません。

「遅いと思った時が、一番はやい時」
であると考えていくことです。

順風満帆の人生というものは、どこにもなく、上手くいかなったときに挫折や絶望感を心が暗くなる方々がとても多いです。
そんな考え方ではなく、「上手くいかない人生が当たり前なんだ。」と思っておくことが常なのです。

仏教では四苦八苦を釈迦は説き、生きる上には「苦悩は付きもの」であると説きます。これは時代が変わっても、さまざまな分野が進化しようとも、変わることのない不変の真理です。

「生者必滅・会者定離」とあるように、生あるものには必ず寿命があり、それを逃れることはできず、必ず出会う者とはいつかは別れが訪れるのも常であります。

釈迦は当たり前の道理を説いているだけなのです。

しかし、その生きる中には泥の濁った人生を私たちは生きていかねばならないのです。そこで、「泥中の蓮」を釈迦は説きます。生きていることは苦楽をともに過ごす中には欲だらけであり、自利的・利己的・自己中心的など自己優先される心が形成されることが特に強い時代です。その欲まみれに染まらず自分の意志を貫き通すことで、本当に自分のしたかったこと、しなけらばならない使命などが心の中から気づきが芽生えていきます。

考えているだけでは何も変わらず、とにかく動いていくことです。もう一度、学ぶこともいいでしょう。
現在、二十歳前後の学生たちは就職のために勉学に励んでいますが、社会に出て勉学することは目的意識が異なる勉強となります。目指す目標や、今まで見えなかった、気づかなかったことにも目覚めいくものです。

とにかく目標や自己評価を高めてはならず、今がすべての自分です。この「今」からがスタートであり、過去は捨てることが必要です。捨てるといっても心には残りますが、勉学などしていくことで過去の苦い思いは、意味のある過去であったのだと気づかせてくれることが確かです。

他人の背比べなどの習慣があれば、習慣から離していきましょう。

悩みは必ず智慧となっていきます。
悩むことは実は無駄ではないと説くのが仏教なのです。

心から応援しています。

合掌

2024年10月11日 5:22
{{count}}
有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
このお坊さんを応援する

▽ではなく△の人生

人生にもしはありません。
全ては今のみ。
過去も未来も存在しません。比較ですら頭の中の作りごと。今のあなたは逆三角形の頭でっかちです。

土台である足元を固めなければならないのに、周りばかり見て比べたり、もし〇〇だったらと妄想をしているだけです。

本来はしっかりと土台を固めた三角形が理想の形です。人と比較することに意味はないです。教員に向いてないと思ったなら、それ以外の道を探るしかないでしょう。

今がスタートです。そして、事実は今以外ないのです。過去は過去妄想と同じ。未来も幻です。これから何ができるのか、今の自分を受け入れ、そこから始められる事をやるのです。

2024年10月11日 15:40
{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
安定した立場に憧れ、欲が出てしまっているのだろうかと思います。その欲に惑わされず、己の進むべき道を見つけたいと考えました。
今はまだ気分が落ち込んでいて苦しい毎日ですが、これからがスタートだと思えるよう切り替えられたら良いなと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ