人と比べない方法について
人と比べないことが大事だと多くの人が言っているが、世の中の多くの人は人と人とを比べ、優秀な人を会社に採用したり、奨励したりしている。
自分は自分のペースでやるべきことに取り組みたいが、とにかく周りに比べてペースが遅いので、会社に採用されたりと言った競争には弱い自信がある。
そう考えると、周りと比較して自分も頑張らないとと思うが、正直いえば頑張りたくない。自分のペースで、生きていて苦じゃないペースで物事に取り組みたい。競争はしたくない。人と比べたくないし、比べられたくない。
どのように考えれば、この苦しみから逃れられるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しみを生んでいるのはその環境。競争のない仕事もあります。
人は、比較することで自分を見ていく部分があります。あなたもそうですよね。今まさに、周りに比べてペースが遅いという自己分析をしています。
学校や社会も、そうやって比較しながら、成績を出したり評価がなされていきます。これはあくまでも基準となるものであり、その人そのものの価値を決めているわけではありません。
他者を見るから、自分が見えてくる。それは、自分にある欠点や劣っていると思いこんでいるマイナス部分ばかりではないはずです。良さや魅力も発見していける。みんな同じ人はいないのだから、「特別な私」なのですよ。
ただ、あなたが働く職場では、会社が求める「優秀」が必要なのでしょうね。
あなたの苦しみを生んでいるのは、その環境だからなのでしょうね。本当は、自分のペースで物事に取り組みたいのですよね。
簡単にはいかないのかもしれませんが、今の環境を変わられたら、苦しみからは解放されるでしょう。お辛いようであれば、仕事そのものを考え直していくのも必要かもしれませんね。競争のない仕事もありますからね。
あなたらしく生きて下さいね
拝読させて頂きました。
あなたがつい人と自分を比べてしまいとても苦しんでいることを読ませて頂きました。詳細なあなたの状況はわからないですけれども、あなたのその苦しいお気持ちl心よりお察しします。
そうですね…よく「人と比べても仕方ない、人と比べても意味ない」とは言われますがなかなか難しいのも実情ですね。
オリンピックが開催されていますが、誰がそれぞれのスポーツ競技で優れているのかを必死になって競っているのですからね。それはそれで素晴らしいことでもあるでしょう。
社会の中でも・人と人との関係の中でも他者と競わなければなりませんし、生活していくためにはある時は競い・ある時は戦い・ある時は他者と助け合わなければなりません。ですからこの世の中で生きていく為には他者と比較して得意なところ・自分のできることを出していくことも必要かとは思います。
ただそれだけが自分の価値や評価が全てではないですし、比較することが善いわけではありませんし、優劣だけなのもどうかとは思います。
自分にとって自分が一番大切であり唯一無二の存在です。他者にとっても自分が一番大切であり唯一無二の存在です。それぞれがそれぞれに大切な存在ですからね。ですからそれぞれ一人称では比較する必要などありません。
オリンピック競技でも協議終了後には1位も2位も3位も或いはそれ以外の方々全てがお互いを尊重し合い称え合うことが何よりも大切だと伝えているのだと私は思います。ラグビーでもノーサイドはそれぞれのことを尊重し称え合うからこそ素晴らしいスポーツの精神なのですからね。
私たち宗教者の中でも言えますが、誰しもが仏様の前では優劣はありませんし、比較する必要なのありません。誰もが仏様の前では愚かなはかな小さな存在でしかありません、そんな私たちそれぞれを仏様は平等に守り救ってくださいます。
世間的・社会的にはどうしても優劣や不平等は存在します、しかしそれはあくまで仮の姿でしかありません。亡くなっていく時には何も持ってはいけませんが平等に仏様はお救いなさって下さいます。
あなたがあなたらしく比較せずに健やかに生きることができます様に切に、自分をおとしめず劣等感を持たずに心豊かにおおらかに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
中田様: 良さや魅力も見つけていきたいと思います。任期付の職なので、契約が切れるまでは頑張ってみようと思います。
Azuma様: 死んだらノーサイド、みんな平等に救われるという解釈で合ってますでしょうか。死ぬまでは(もしかしたら死んだ後にも)人には比べられ続けるけど、自分だけは自分のことを比べてあげずにしてあげたいなと思います。死ぬまで精一杯比べないための努力をしていきます。