自分が悪人に思えてなりません
お忙しい中私の相談を読んでくださりありがとうございます。
以前、ここで相談させて頂いた者です。
私は過去に盗撮行為(後ろ姿や下半身を撮影)や近所にゴミを捨てる等の行為をしてしまいました。
バレてはなく3年以上たち、罪悪感に苦しんでいました。自首しようかとも考え弁護士に相談もしましたが3年以上っているし証拠も消してしまっているので警察はとりあってくれないだろうとのことでした。
今後は二度とそのようなことはしないと誓い、同じことは繰り返してはいません。
その後、毎月募金をしたりと良い行いを心がけました。しばらくの間罪悪感から解放されていました。
しかし最近ふと思いだしてしまい、自分は何か罰を受けるべき悪人ではないかと思えてなりません。周りに自分のしたことを隠して生きている悪人だと思えてくるのです。
どうしたらいいでしょうか?何かお言葉をいただけるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去の反省はあなたの生きる糧です
お話をしてくださり、ありがとうございます。あなたの心の中にある葛藤や罪悪感について、深く思い悩んでおられることが伝わってきました。
過去の過ちを重く受け止め、それに対する罪悪感から逃れられない日々を過ごしてこられたこと、その苦しみは計り知れないものがあります。そして、その罪悪感を解消しようと、善行を心がけることで自己の心を癒し、また同じ過ちを繰り返さないと強く誓われたこと、これはとても立派な姿勢です。
まず、過去の過ちに対して罪悪感を持つことは、その行為が決して軽んじられないものであることをあなた自身が理解している証です。それに向き合い、反省し、二度と繰り返さないと誓うことは、あなたが本当に改心し、より良い人間になろうとする決意の現れです。
しかし、思い出してしまう度に自分を責めてしまうというのは、心の重荷として残り続けるものです。そんな苦しい中でも、日々善行を積み、周囲への配慮を忘れずに生きてこられたあなたの姿勢は、非常に尊いものです。
仏教の教えにおいても、過ちを犯した際の懺悔と許しの重要性が説かれています。過ちを認め、深く反省し、誠実に生きることを重ねていくことで、その罪は軽減されていくと考えられています。あなたが過去の行為を深く悔い改め、今後の生き方を変えて善行を積むことで、自らを少しずつ解放していくことができるはずです。
取り返しのつかない過ちに対してどう向き合うかは、個々人の心の中でとても大きな課題です。過去の自分をただ責めるだけでなく、未来に向けてどのように生きていくかを見つめることが大切です。罪悪感を持ち続けることがあなたの心を苦しめ続けるなら、それを抱えながらも、それ以上の善行を積み重ね、他者に対して尽くしていくことで心の平穏を見出す道もあります。
「自分は悪人だ」と感じてしまうことは辛いものです。しかし、過去の行為に対して深い反省と改心を示し、今後は真摯に生きていこうとする姿勢を持つことで、徐々に自己許容の心も育っていくでしょう。過去の反省があなたの生きる糧となります。ですから、あなた自身が少しでも心の平穏を取り戻し、善なる道を歩んでいけることを心から願っています。
この先もどうか、自分を責めすぎずに、自らの善行を信じて生きていってください。あなたの心が穏やかであることを祈っております。合掌
質問者からのお礼
温かいお言葉ありがとうございました。
少し気持ちが楽になりました。
これからも善い行いを心がけていきたいと思います。