人を玩具くらいにしか思っていない人
自分は人からイジられることがあります。
親しい関係の人からたまにイジられる分にはジョークなんだなと理解できます。
ただタイトルのように人を玩具くらいにしか思っていない人がいてその人は言動の全てがイジりなんです。幸い毎日その人と会うわけではないのが救いではあるのですが会うたびにこれだと思うと苦痛です。
(※その人は自分以外の人に対してもそういうスタンスです。自分のことではなくてもそれを見るのもあまりいい気分ではありません)
もし次そんな人と会う場合どう対処するのがいいのかを知りたいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
情報を超える 事実を生きる
言わせておきましょう。
人の発した言葉、情報にあなたが波風を立てないように生きる事。
これをテーマにしてください。
今、世界中の人が人の言葉に勝手に振り回せれています。
言った本人はそこで言ったっきり。
ケロリとしています。
そこでこっちが毎回傷ついていたら身が持ちません。
山奥にバカヤローと書いてあるとします。
誰の目にもとまりません。
誰の目にも止まらない文字は誰も傷つけません。
ところがそれを目にして傷つく人も居れば傷つかない人も居る。
ここで差が付くのです。
誰にあてた言葉であるかも知らずにあなたは傷つく人生を歩みたいでしょうか。
私に当てられた文字や言葉で傷つく必要もない言葉にわざわざ傷つく必要はありません。
では、自分に向けられた言葉なら毎回傷つく必要があるでしょうか。
いいえ。
取り込まなければいいのです。
真実の評価をしてくれる人間だけを相手にしましょう。
誤解する人や、悪しざまにいう人や、一面だけで判断、評価する人間自体が、耳を傾けるべき内容を持っていないものなのです。
彼らは自分の憂さや自分が傷ついたことを他人をおとしめることで解消しようとする宗教性も、人間性のカケラも持ち合わせていない可哀想な人間であると思いましょう。
あなたはいつも反応してしまうから、彼らの負の連鎖を助長させている。
あなたが言葉に傷つかなくなった時。
それはあなたの勝利です。
勝利といっても自分の心に打ち克ったということ。
降伏一切大魔最勝成就。
おのれの心の波たちを治め得たものこそ、最も勝れたる人間なのです。
人は言葉によって傷つくのではない。
その言葉に対して二次的に自分の思いで傷ついていることを見抜かねばならない。
ネット、メール、ライン、ツイート、心無い情報や言葉の飛び交う時代です。
そこに傷つかなくなることは一生の財産です。坐禅会とは、そういう事も克服できる場です。
自分の子事をおさめたい、情報によって、脳内情報を波風を立たせないようになりたい、と思われたら禅の門を叩いてください。
腹を立てるとは
初めまして、川神悠敬です。
私もサラリーマン時代にそのような方と同じ職場だった経験があります。
気にしなければ良いのでしょうが、自分に言われたことでないことも気になり、嫌な気持ちになりますよね。。
お釈迦様もそのような言葉の暴力に対して言い返してはならない。その言葉をそっくりそのままおっしゃった方にお返しすると残されています。
結局その方に何かを反発して言ったとこで、質問者様もその方と同等になってしまうんですよね。心優しい方でしょうからその後に心が傷むことでしょう。
私の親戚の話ですが、その方は掛け軸に『腹』という文字を横向きにして飾っておられました。
それは腹を立てないということなんですね。すごくサラリーマンとして成功されていた方でした。
そんなイジリは言わせておきましょう!!
P.S. 取り柄がないことはないんじゃないですか?質問を拝見して心優しい方なんだなと思いましたよ!
質問者からのお礼
川神様 回答ありがとうございました。確かに言い返したら相手と同じ土俵におりてしまうことになりますよね。そんなことを言う人はいつか反動が来ると思うのがいいのかも知れませんね
丹下様 回答ありがとうございました。いい意味で「どうでもいい」と思えるようになれば確かに不快感というものは軽減されるかも知れませんね。