殺生回答受付中
高校生なのですが最近ふと疑問に思うことがありました。
戦争などで仕方なく、強いられて人を殺してしまう場合は大罪になるのでしょうか?
あの世で裁きを受けるのでしょうか?
現在ウクライナ戦争やイスラエル戦争が勃発しています。
多くの善良な市民が徴兵令で戦地に出向いていると思います。
ネットで色々調べると僕と同年代くらいの子まで徴兵されていました。
銃の使い方を教わっていました。
またブラジルやメキシコ、ハイチなど劣悪な環境によって殺人が日常茶飯事、モラルが一切通用しない地域も沢山あります。
実際とあるサイトいわゆる(グロサイト)で人を躊躇なく殺してる動画が大量にあります。
地域が記載されてるので調べるとどれも中南米でした。
そういう地域で生まれ育ち罪の意識がないまま殺人を行う、これも大罪なのでしょうか?
こういった自分の意思じゃなく強いられてそれに逆らえず犯す罪、罪の意識、概念が完全になく犯す罪、いずれも大罪なのでしょうか?
回答よろしくお願いします🙇♂️
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な問いを新たな行動へ
ハスノハに相談くださり、有り難うございます。私自身も、世界各地の戦争が止まない現状に心を痛めている一人です。これからを生きる若者に、辛い思いをさせてしまっていることを申し訳なく思っています。ところで、すぐるさんは、この現状において、自分に何か出来ると思いますか?そもそも、出来る事はないと思いますか?すぐるさんは、ココに大切な問いを届けてくださいましたね。それがすぐるさんが成し得たことの一つです。つまり、現状は大切な問いを生むのです。さらに、その問いは、すぐるさんだけでなくハスノハを通して私に届き、それが多くの人の目に触れて、それぞれが胸に隠していた問いを分かち合ったり問い直すきっかけを生み出したのです。だから、すぐるさんは直ちに各地の戦争を止めることは出来ないけど、全く無力でもないのです。だから、現実に絶望をしないでくださいね。
さて、回答は字数制限があるため、すぐるさんの問いに含まれる複数の視点すべてに応えることは出来ません。ここでは、罪という問いを、仏教における戒律という視点で応えてみたいのです。仏教が定める戒律の中に、不殺生戒があります。生き物をむやみに殺してはならないという戒律です。だから、ここ数年続いている各地の戦争は、その戒律を破っている=罪を犯しているとも言えます。ただ、戒律を語る前提として、自らが仏道を歩み仏となろうと願うことが必要です。そこには、目指す仏さまとそうなりたい自分という個別具体的な関係が必須です。言葉を変えたら、自分のありようを問わずに、「あの人はなんと罪作りだ」と他人を裁くことはしないということです。他人の行為を自分に引き当てて、「私はどうだろうか?」と問いを持つことから始まるのです。
これまでの回答にもあるように、私もすぐるさんも、知らず知らず様々な罪(=身口意の三業)を重ねているという事実から、目を背けることは出来ません。その事実に目が向いた時、ではどうすることが出来るのかという次の問いが生まれますね。その問いが新たな行動を生んでいきます。「和願愛語」を一つのヒントにしてみてください。まだまだ、純粋な気持ちを持てる時期です。現実を見ること、問いを持つこと、視野を拡げること、解決策を語り合うこと、新たな行動につなげること。そのささやかな日々の積み重ねが、すぐるさんをよりたくましくしなやかな人間へと成長させてくれるでしょう。
罪悪です大罪です
拝読させて頂きました。
あなたのご質問「戦争などで仕方なく、強いられて人を殺してしまう場合は大罪になるのか?あの世で裁きを受けるのか?」を読ませて頂きました。
現在でもロシアウクライナ戦争やイスラエル中東戦争や中米南米での殺人「そういう地域で生まれ育ち罪の意識がないまま殺人を行う、これも大罪なのか?
こういった自分の意思じゃなく強いられてそれに逆らえず犯す罪、罪の意識、概念が完全になく犯す罪、いずれも大罪なのか?」
あなたが疑問に思うことはとてもわかる様に感じます。
仮に私達が第二次世界大戦前や戦争中に生まれていたり、戦国時代に生まれていたり、独裁国家や軍事国家に生まれていたり、無政府状態の地域や無法地帯に生きていれば殺人を犯さなければならない状況に追い込まれてしまうでしょう。
殺人を犯さなければ自分や家族や大切な人が殺されてしまう様な状況に追い込まれてしまうこともあるでしょう。
とはいえ殺人を犯せば大罪を、罪悪を犯したことになります。深い罪を背負い罪悪感にさいなまれることになります、その罪悪の報いを受けなければならないです。
人を殺しても小さな虫を殺しても罪です、殺生したことになります。
ですから私達は毎日沢山の罪を犯し続けています。
私達が生きていく為には日々命を頂かなければなりません、つまり間接的にしろ私も誰しも罪を犯し続けているのです。
ですから日々私達は自ら犯した罪悪を心から反省して神仏に心から懺悔し、心から謝罪をしていかなければならないです。
そんな愚かな罪深い私達を神仏は決して見捨てはしません、しっかりと見ていて下さり、受け止めて下さいます。そして私達を善き方へお導きなさって下さり、迷い悩み苦しむ私達をお救いなさって下さいます。
宜しければあなたも日々心から自らを省みて神仏に心から懺悔なさり心から謝罪をなさって下さいね。
あなたが神仏に受け入れられて救われる様に、善き道に導かれます様に心より神仏にお祈りさせて頂きます。至心合掌