ご真言を唱える際の印について。回答受付中
あるご真言を本で読んで知り、一定の回数をお唱えすると良いと書いてあり、印も載っておりました。
印を組みながらお唱えすると良いと書かれていたのですが、回数を数える際はお念珠を使用するとも書かれていたのですが、お念珠を使用すると印が組めません。
印とお念珠のどちらを優先すればよろしいでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私は浄土真宗の僧侶です。浄土真宗では、ご真言や印を用いた修法は本来の修行体系には含まれておりません。私たちは阿弥陀如来の本願にすべてをゆだね、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すことが、何よりの道とされています。
ですが、参考までに私の知っている範囲で質問に回答させていただきます。
🔶ご真言の実践において、印と数珠のどちらを優先するか
これは非常に実践的な悩みですが、以下のように考えてみるとよいのではないかと思います。
◆ 1. 目的の優先を考える
印を結ぶことによって特定の功徳を得ようとする修法であれば、「印を結ぶこと」が最優先となるでしょう。
一方で、回数を正確に保つことによって修行の節目を明確にしたいのであれば、念珠(数珠)を使うことが優先される場面もあります。
どちらを大切にするかは、そのご真言が属する宗派や修法の背景によって変わってくるのではないかと思います。本で読まれた情報にその点が明確であれば、そちらに従うのがよいのではないかと思います。
◆ 2. 実践的な折衷案
実際には、次のような方法でバランスを取る方もいらっしゃいます。最初に印を結び、1セット唱えたあとに手を戻し念珠で回数を進める。印は唱えるごとではなく、最初に一度結んで意識を集中するために使う。念珠をテーブルの上や膝の上に置きながら指で珠を動かす。このように、実践と意義が両立できる形を模索するのも、仏道における工夫のひとつだと思います。
🔶最後に、浄土真宗の視点からの一言
印や真言も尊い仏教文化の一部ですが、もしあなたの内に「本当に仏さまとつながっていたい」「心を静かに整えたい」という思いがあるなら、どうぞ無理に形式にとらわれすぎず、心から仏さまを念じることを大切にしてください。
たとえ形が整わなくとも、仏さまはあなたの真実の願いに耳を傾けてくださると思います。何かのご参考になれば幸いです。どうぞ、仏縁がますます深まりますように。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
釋兼高さま
非常に具体的で実践的かつ親身にご回答いただき、感謝しかありません。
ありがとうございます。
実際にご真言を唱えてみた結果、おっしゃる通り、真剣な気持ちで取り組むことでご利益があるというより、ご利益にあずかれるような自分に変化していくという感覚に近いかもしれないと感じました。
またご指摘のとおり、真剣であればこそ工夫し実践していくということも大切と思いました。実際いまの形になったり様々な宗派と方法があるのも、先達の方々のたくさんの工夫の結果と思うと有難い気持ちにもなりました。
実際の体感上、印は意識が変わってくるのを感じた際、通常の意識から素早くまたその意識に入っていくのにも役立つものでもあると感じました。
他にも深遠な意味が含まれている可能性を考慮すると、なるべく印を組みながら行うことを工夫してみたいと思いました。
ご丁寧な返信とても参考になり、助かりました。ありがとうございます。
とても心洗われる感覚になれるので、引き続き実践してみたいと思います。