光明真言について
蓮體著作のほうきょういん陀羅尼和解秘略釈という本をネットで読んだのですが光明真言を唱えても効果が出ないのは信心が少ないから、戒律を破っても恥じないから、師に出会って正式な教えをさずかってないら、修行の準備、正しい作法が整ってないから、雑行雑修だから。このように5つの理由があると書いてたのですが末法の私には、とても5つの条件をクリアすることは不可能です。続けてれば信心はクリアできるかもしれませんが私は引きこもりなので師に伝授してもらう等物理的に無理なこともありますし、戒律を破っても気づかないことだって人間なんだからあります。やはり5つの条件をクリアしないと光明真言を唱えても現世利益はないのでしょうか?また、効果があるなら何回唱えれば効果があるのでしょうか?10年、20年続けないと効果はないのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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真言。
はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。
私は真言宗ではないのですが、回答させていただきます。
『やはり5つの条件をクリアしないと光明真言を唱えても現世利益はないのでしょうか?』
それは、パンさんが何を望んでいるかによるかもしれません。
例えば仏教徒における真言というのは
そのはじめから一切衆生を救済するという誓願が前提になっていると思われます。
真言というのは
「あなたが(わたしが)存在しているということが、ただそれだけが尊い。」ということに気付いた者、あるいは自身がそれで心から救われたという者が、その実践として唱えているものと私は思います。
実際にはそんなことあり得ないと思う方もいらっしゃるでしょう。
こんな未熟な自分でも、どんな悪いことしても、それが尊いことだなんて言っていいのか。
そこはかなり真剣に考えなければならないということで、それでもなお人々の救済に向かおうとする者には厳しい条件が課される、同時に現世利益が備わる、ということなのでしょう。
何のために現世利益を求めるかです。
一理あると思われますね。
一方で、真言の中には、そういう誓願というものが持つ厳しさの反面、懺悔(さんげ)といって、「そんな条件できっこない」ではなく、「自分にはできないけれど、せめてこのくらいは…。自分にはできなくても、できる人が他にいるかも知れない。」と思ってその人のために祈る、誰かのために祈るといった優しさの面も併せ持っているように思うのです。
現世利益というのは
その後についてくるのかなという気がいたします。
5つの条件を知ってらっしゃるだけでも大変素晴らしいことだと思います。
それぞれ、
破戒を恥じる『内省』
師の存在『謙虚さ』
修行の準備『忍耐』
作法『軸を持つこと』
雑行雑修でないこと『専一にすること』
唱えるにあたって
このことを知っているだけでも尊いことです。
私も、ちょっと忘れておりました…
どうかその先に
パンさんご自身の現世利益がありますように
祈念申し上げます。
唵 合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。私が求める現世利益は富貴です。参考にさせていただきます。