母の死を願ってしまう事について回答受付中
私は現在26歳になります。幼少期から虐待を受け、精神的肉体的暴力を受けてきました
19の頃、母と過去の決別を図るべく和解しようとするも過去の虐待のことについては「私はそのようなことをした過去がない」と言い張り和解どころか深い苦しみや悲しみ、怒りを覚えました。そこから何度か話し合いをしましたが私の中で過去の愛されなかった、暴力を振るわれてきた過去が未だに晴れません。それどころか歳を重ねていくにつれその心の傷は深くなるばかりです。彼女は彼女、私は私として割り切って生きていきたいのに夢に出てきては言い争い、うなされ、人間関係もままならない程になり15歳から26にかけて重度の精神障害を患いました。現在は結婚をして夫がいるため唯一の心の支えになってるのですがふとした時に過去の恨みつらみが湧き出し、母の死を願ってしまいます。死んだところで晴れないのは分かっているつもりですが、死んでほしいという気持ちが湧き出てきては抑えきれない時があります。人の死を願うことは悪いことなのでしょうか。どうしたらいいでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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優しさで溢れるように
ぴろり 様 相談ありがとうございます。
あなたが母親の死を思ってしまうのは、あなたのせいではありません。あなたが悪いのでもないし、あなたに責任はありません。あなたの育ってきた状況があなたにそう思わさせているのです。
虐待を受けた、そこまで行かなくても、躾といいながら、感情のままに子度の気持ちを蔑ろにして暴言を吐いたり、怒りの態度をとられたりしたら、当然子供の心には恐怖心が宿ります。本来愛情を向けてくれるはずの親に恐怖や軽蔑を向けられれば、脳の脅威信号を司る部分が活性化し、脅威感情に常に覆われます。そうすると闘争や逃走反応、あるいは凍り付き反応がいつもでますので、あなたのように相手の死を思ってしまうのは当然のことと言えるでしょう。
脳がそう思わせているのです。ですのであなたのせいではありません。
でもこのままでは辛く苦しいので、自分自身を穏やかにして、こころ温かに過ごすことを身につけて行く必要があると思います。
それには、自分に思いやりや優しさを向ける練習をしていくことがよいと思います。
まず、心身ともに癒されること、安心安全を感じることをしてください。充分に癒され安心安全を感じたら、自分の中に優しさがありそれが身体全体にいきわたるようなイメージを持ってみましょう。難しければ、ご主人の愛情を感じた時や親友などの優しい言葉や励ましの言葉を思い出し、心が温かくなったときの感覚やイメージが身体の中に入っていくような感じを持ってみましょう。
あなた自身が優しさで溢れるように、そんな感じを持つことが大切です。
そうすると、脅威の感情が抑えられて穏やかに過ごすことができますし、あなたの中の母親は、どこか遠い存在となるでしょう。
過去からくる恨みつらみは、優しさで溢れるあなたの反面教師としてただあるだけの出来事であり、今とこれからのあなたには、役に立たないものとなるでしょう。
参考にしてください。一礼



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