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猫を轢き殺してしまいました回答受付中

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有り難し有り難し 3

先日、車の下にいた猫に気がつかずに車を発信し、運悪く頭を轢いてしまい、数分のたうち回った光景を見た後に絶命してしまいました。
もうそれは忘れられません。
スピードも出ていないし、あのタイミング、あの場所でピンポイントで踏まなければと後悔の念は絶えません。それは無残な亡骸でした。

しかも、自分の家の駐車場で、よく見かける子の上、以前亡くなった子とよく似た毛柄の子でした。

なぜあの時車の下を見なかったのか、ここ2日そればかり考えています。

自分は猫が好きで、今まで2頭看取っており、うちの子たちが眠っているお寺に連れていき荼毘にしてもらいお経を上げていただきました。

罪悪感で潰れそうです。あの光景が定期的に浮かびます。しばらく毎日お線香を自宅であげようかと思います。他にするべきことはありますでしょうか?

2025年11月27日 18:10
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

分かります。

 仔猫…私も過去(平成の初めごろ)、全く同じようにしてしまったことがあります。「自らの不注意で命を奪ってしまった」という後悔は、今も忘れることなく、朝のお勤めでもご回向お祈りしております。
 数で言えば、食べるために頂いた命の方が遥かに多いはずですが、「自分の操作で」という関わり方が、こうも大きくのしかかっているのだと思います。
 単に役所に連絡して始末…にしなかったのは、その子にとっても、あなたにとってもよかったな、有難いなと思います。
 さて「罪悪感で潰れそう」とのことですが、「それを忘れさせて下さい」というのがあなたの願いではないと思います。その罪悪感を発端として、命に関わるものとして、ご供養ということをよく考えたいのではないかと拝察します。
 関わり方は様々なれど、私たちは他者の命を頂き、見送りながらしか生きていくことはできません。そう、「こちらが生きている限り見送ることしかない」のです。食べるにしても愛情を注ぐにしても、そして不注意で奪うにしても、命に囲まれ、見送りつつ生きている。時々は迎えることもあります。
 その一つ一つの繋がり、ご縁の有り難さを觀じ、これからも手を合わせていくことが、私にもあなたにも必要なのではないかと思います。
 私からも、その子について、お祈りさせていただきます。南無阿弥陀仏。

2025年11月28日 10:58
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

佐藤様。ご助言有難うございました。

祈っていただけたぶんだけ、少し救われた気もします。不注意とはいえ取り返しのつかないことをしてしまった自分の役割は丁寧に供養するしかないと思いました。せめて49日の間くらいは毎日線香を上げて謝罪しようと思います。

有難うございました。

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