お坊さんからの回答 1件
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代償をもとめる心理による他方への誤った執着
人間は幸せをこれだろうと思って誤解・誤認して、そっちを求める。ところが、それは手に入らない。なぜか。人の事、人のもの、自分じゃないもの。自分ならざるものだから。それはいくら求めても自分のものにはならない。得られないと寂しい、もの足りない。だから、その代わりに別のもの、代償となるものを求めてしまうようになる。自分をごまかすようになってしまう。だんだん素直じゃなくなっていく。
その後もずっと他事、他方、他の事、別のことを求めるようになって地に足がつかなくなってしまう。現実離れをするようになる。思いの世界へと旅立っていく。
ところが、大事なことを見失っている。それを求めている主体はどこか。求めていた人は誰なのか。
あれがいい。あれをこうしたい、ああしたい。こうあったらいいのに、そうじゃないからと不満をおこす場所はどこなのか。誰なのか。一番親しむべき相手は誰なのか。みんな、ここ。こっちなんです。
認められたい。
あんなことをしてしまった。
自分なんて、どうせ、だめだ、でも…DDD
愚痴が出る、元気がない、自分をDISる、負のループ。
原点は何が原因か。
求めるべき幸せの誤解。
手に入らないものへの要求。
非現実的な願望。
それが理想通り、自分の思い通りにならないことへの不満。
総じて、わたしが、わたしが、私がこうしたい、私はこうありたかった、私の、私の、私の中では。私が私の自分の、自分だけの。私が私の自分を中心とした自分独自の自分だけの。
その原点、一番ベース、根底にある、一念心。我の一念心こそが、今もあなたを苦しめ続けているのではないでしょうか?おそらく、そのはずです。
これはあなたに限らず、誰でも。
遡れば、いつの日か、どこからか、なぜなのか~♪
あの日、あの時、あの場所で、あのことがあった時、あの心理が生じて以来。
始まりは相手ではない。相手かもしれない。相手があってのことだからとはいえ、鐘は鐘だけではならない。鐘の響きをなす撞木がないとならない。
あの時、あのことがあったその瞬間に生じたそれとの間に衝突して生まれた響きは、確かにあったけど、それは悪いものではなかったのです。
そこで、あなたの中で生まれた負の思いを赦してあげてください。
そして、その負の心を転じて、さらに自己向上の機縁・きっかけとして、向上心、精神を高める心、菩提心を発しますように。
質問者からのお礼
確かにそうかもしれません
手元にあるものを大事にできたらいいです
ありがとうございました🙂↕️



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