板挟み、と言うのでしょうか回答受付中
少し前に私の属するコミュニティで起こった話です。伝わりやすくする為に抽象的な例としてあげます。
「人物Aは人物Bと友人であり、共にコミュニティXに属していました。
ある時BはX外のコミュニティYにて対人関係のトラブルの震源地の一つとなりXとYの間で一触即発の事態をなんとか回避する、という事象を起こしていた様でした。(本筋から逸れるので深くは言及しませんがAはこの件を事態が収束してから知りました。また、危うくXとYそのものを巻き込んだ、所謂「炎上」となりかけた様です。恐らくAはBと距離が近い為に、渦中にある時に知れば客観的な判断がし難いからだと思われます。あくまで推測ですが、Aがもし、AでもBでもない立場の人間であればそうする、というものです)
このことがきっかけでX内で会議が行われた結果BはXから退却する事となりました(文言上はBも納得した上での選択です。また、これも深くは言及しませんがAはその会議の場に自らの意志で参加しませんでした。)」
さて、この事象において、Aは(広義な言葉となって申し訳ないのですが)身の振り方が分からなくなりました。と、言うのも「X内でAのもっとも付き合いが長く、また親密な仲であるのがB」であるのです。そしてより事態をややこしくしているのが「AのX内への印象、及び他の構成員との仲は良好」であるのですが(その場にい合わせませんでしたが)「Bの退却については反対の意を示していました」。更に、更にややこしくしていることは「AはXの最終的な判断を尊重する」ことを表明している、のです。
あまりに急な事態の運び方であった為、熟慮した、とは断言し辛い判断の末の結果ですがAは何か他にできたことはないのか、という後悔の念を持ち、(繰り返しになりますが)身の振り方が分からなくなりました。
追加)私自身は「人はやり直せる」「物事の評価をそれが悪い状態の時の姿で下すべきではない」と思っている為、Bとの関係がどの様なものでも、反対していたと思います。…とつらつらと書いてみましたが私自身が最も望んでいる在り方は単なる「現状維持」であるのかもしれません。
お坊さんからの回答 2件
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Aさんは自分がやりたいようにやればいいと思いますよ。グループ活動も頑張ればいいしBさんとも友人として仲良く付き合えばいいし。もしかしたら今後状況が変わってBさんがグループに再加入することもあるかもしれないし、または何か起こってAさんがグループを脱会するかもしれないし、先のことは誰にも分かりませんからね。
あまり難しく考えなくても、今現在Aさんから見て良い人と思える人とは同じグループでも別のグループでもどこのグループにも入っていない人でも仲良くしたらいいんじゃないかな。
拝読させて頂きました。
なかなか抽象的な記載ですのでちょっとわかりずらいですが、そのコミュニティ内外でのトラブルによって退会せざるを得なくなってしまったのですね。どのようなやり取りがあってどのような炎上やトラブルになってしまったのかはわからりませんが、あなたがとてもご心配なさってどうすればいいのかと思い悩んでおられるのかと思います。お気持ち心よりお察しします。
現在進行中でしょうからなかなか判断は難しのかと思います。ですから冷静になって静観していくことかと思います。
どうすることが正しいのか、どうしたことがあやまりなのか、そしてこれからどう関わっていくことが望ましいのかをじっくりと落ち着いいて見つめていってみてはいかがでしょう。
少しでも時間が経過していく中で情報を静観して客観的な判断を下すことができると思います。



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