自分の過ちによる強い自責。回答受付中
こんにちは。いつもお世話になっております。
私は前々から自閉症の疑いがあり、今までずっと避けていましたが、来月正式に検査をすることになりました。
今でも定期的にくる自責の念を背負い生活しています。
なぜ自分は他の人と違うことをしてしまうのか、なぜ自分は人を傷つけてしまっているのか、、いつまでも自分がダメな人間で、生きているべきではないと思ってしまいます。
うつ病も患っているので、食事が取れなくなったり、生活がままならないこともあります。辛いです。
なによりも孤独を感じます。
人に迷惑をかけないためにSNSも辞め、連絡も誰ともとっていません。
毎日父の帰りを待ち、少し話して寝る。の繰り返しです。
ですが自分のせいでこうなっているので、自業自得です。
私には過ちがいくつもあります。
詳しい内容はプロフィールに書きます。
もう普通の生活はできないのだろうと絶望しています。
今まで関わってきた人や、世の中の全ての人々に申し訳ない気持ちがあります。
質問になってなくてすみません。
なにかアドバイスがあればお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切なのは「今」を生きること。ご自身を責めないでください。
はじめまして。僧侶の釋聴法と申します。
あなた様は、決して一人ぼっちではありません。自分自身を責めてしまうのは、今の辛い状況の中で、真面目に生きようと懸命に努力している証拠でもあります。しかし、どうかご自身を責めることを止めてください。
真宗の教えでは、私たち凡夫は煩悩にまみれ、思い通りにならないのが当たり前だと説かれます。私たちは、「このままでいい」と、何の飾りも努力もいらない、ありのままの姿で阿弥陀さまに受け止められています。
ご相談の文面を拝察いたしますと、ご自身の過去の過ちについて過剰に後悔の念や自責の念をお持ちのようですが、あなた様が行った過ち?は誰もが人生の中で経験をするような事柄であり、できれば忘れてしまった方が良いです。(難しいとは思いますが...)
あなた様が今抱えている「うつ病」や「自閉症の疑い」による苦しみは、あなた自身の責任でも、罰でもありません。むしろ、この苦悩があるからこそ、私たちは自分の力の限界を知り、私を救おうと働きかけてくださる阿弥陀さまの願いに気づく「仏縁(ぶつえん)」となるのです。
無理に「前向きになろう」と努力などしなくても大丈夫です。人間、自分の力でできる事には限界があります。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」のお念仏をとなえて、阿弥陀さまにお任せしてみませんか。
あなた様は「ダメな人間」なんかではありません。今は健康が第一なので、体調を整えながら、ゆっくりとで良いですから、自分を労わってあげましょう。
どうか、誰かと比べて自分を責めることなく、あなた様のペースで、ただ「今」を大切に生きていってほしいと心より願っております。
拝
縁起寺 釋聴法



お悩みの相談は全般的に対応します。(不安や人間関係など)
元高等学校教員ですので、将来の進路に関する相談などもおまかせください。
現在も非常勤講師を行っているため、少々対応にお時間をいただく場合もあります。
◆職場や学校での人間関係がうまくいかない
◆ストレスや不安で日々の生活に支障がある
◆無気力で、人生の目標を見出せない
◆卒業後の進路を決める事ができない
◆家庭不和で毎日の生活が辛い
◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない
◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている
◆ついつい他人に辛くあたってしまい、後悔を繰り返す
◆毎日充実した日々を送れるように、仏教の勉強がしたい
など、上記はこれまでの相談の例です。