疑ってしまう
私は幼少期から恋愛事で母親が傷つくのを見てきました。
そのためか男性はろくなやつがいないと思ってしまい、男性と恋愛関係に発展するとついつい「この人は裏切る、どうせ遊んでるんだ」などと思ってしまいます。
本気だよと言われても疑ってしまい真剣にお付き合いしたいのにも関わらず、うまくいきません…。
どうしたらいいでしょうか
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そのままでいいと思います
ねむ様はじめまして、ご相談拝見しました。
男にろくなやつはいないんじゃないか・・・そのままのお考えでよいと思いますよ。
実際には誠実な人もいるでしょうし、そうじゃない人もやはりいます。しかし誠実な人だってずっと誠実でいられるとは限りません。
「本気だよ」
その言葉を放つ方にその時はウソ偽りはないのでしょう(いや、そうでない悪い輩もいますが)。しかし、それはその時そうなのであって何年もしたら「こんなはずじゃなかった」「あの時はそうだった」なんてのはよくある話です。
人の気持ちは移ろい変ります。信じ合うこともあれば、疑いののしりあうことだってあります。夫婦だって2~3組に1組が離婚するといわれる時代です。現実の数字が物語っている事実です。
言葉は悪いですが、異性や恋愛に夢を見ていないだけマシなのではないでしょうか。
大変なのは変わってからも続けることです。認め合う事、尊重し合う事。本当に愛するとは?敬うとは?どういう事かという壁にぶち当たってからです。
これから先、疑ってしまうのにそれでも好きな方と出会うご縁、スッキリと全く疑わないでいさせてくれる方と出会うご縁・・・そういった色んなご縁がきっとあるでしょう。いや、そういった出会いすらないというご縁もまた然りです。
いずれにしても「うまくいかない」あるいは「うまくいかせたい」などという自分の思いを突き破ってくるご縁が待ち受けています。
しかしそのご縁さえも、そこからさきが問題なのです。愛に試され、愛に育てられ、愛を成就できるのか、どうにもならないと手放してしまうのか。
共にもがいてみようじゃありませんか。
「疑うこと」は大切なこと
ねむ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「疑うこと」は大切なことでございます。
何事でも慎重に、合理的、批判的に検証を繰り返した上で、しっかりと納得して受け入れていくことが大切となります。
宗教でも、盲目的・妄信的・狂信的な信仰ほど怖いものはありません。やはり、しっかりと合理的、批判的に検証を繰り返して見極めていかないといけません。
失敗しないためにも、人に対しての信頼も同じことです。もちろん、自分も信頼されるに値する努力も当然に必要になります。
そして、お互いに心を真ん中に受け合える「愛」を育み、助け合い、支え合い、分かち合って、共に幸せに歩み過ごしていけるような、そんな方といずれ結ばれる良い恋愛ができていけるといいですね。
お幸せを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌