曹洞宗の修行について回答受付中
総持寺や永平寺などに修行に行くと、自由時間は全くないのでしょうか、雑談とかもできないイメージですが、黙々とスケジュール通りに一日中なにかをしているのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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環境を捨てる体験
ご質問いただきありがとうございます。
修行道場というと、「一日中無言で座禅をしている世界」を想像される方も多いですが、実際はもう少し“生活”に近いものです。
私が過ごした修行道場でも、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という考え方で動いていました。
つまり、
・座る
・歩く
・食べる
・掃除する
・眠る
・話す
そういった日常のすべてに作法があり、まずはそれを身体で覚える毎日でした。
入って間もない頃は、本当に余裕がありません。
作法、時間、動き方、お経、法具の扱い、先輩後輩との関わりなど、覚えることが次々に出てきます。日常生活の流れを覚えたと思ったら、お経の練習、仏教の勉強、座禅、檀家さんへのお参り、行事の設営や運営などもあり、「自分の時間」というより、“まず道場の流れについていく”ことで精一杯でした。
そのため、新しく入った修行僧ほど、雑談よりも「覚えること」に時間も意識も使います。
一方で、長く修行されている方は流れや仕事を把握しているため、少しずつ余白が生まれます。
作業の合間に話したり、お茶を飲んだりする時間も出てきます。
ですから、「自由時間が全くない」というよりは、「自分で自由時間を作る」ように動いていくことになります。
私は、修行道場での経験を通して、
「自分の人生を、自分で決めていく覚悟」の大切さ
のようなものが少し育った気がしています。
人は自分の弱さを知るからこそ、他人の苦しみにも気づけるのだと思います。
修行道場では、疲れや不安、焦りや孤独の中で、人がどれだけ余裕を失うのかを、自分自身で体験しましたし、修行僧の中にもできている人もいればそうでない人もおられます。
だから今は、誰かの言葉や態度の奥にも、
その人なりの苦しさや事情があるのかもしれないと、少し立ち止まって考えられるようになった気がします。
さらに、修行道場では、これまで自分にとって「当たり前」だった環境から一歩外へ出ることになります。
食事が出てくること。
服が整っていること。
時間通りに物事が回ること。
誰かが先に準備してくれていること。
それらは決して当たり前ではなかった。
修行の中で、人は初めて「有難い」という感覚を身体で知っていくのだと思います。
ごく当たり前だけれど忘れがちな事実を、もう一度学び直す時間なのかもしれません。


