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曹洞宗の修行について

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有り難し有り難し 13

総持寺や永平寺などに修行に行くと、自由時間は全くないのでしょうか、雑談とかもできないイメージですが、黙々とスケジュール通りに一日中なにかをしているのでしょうか。

2026年5月8日 0:59
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人は24時間、自分で無い時はない。

(^-^)そんなこともありません。自分が自分のやることをやるだけです。
あなたが永平寺、総持寺に行くにしても、パートナーがいかれるにしても、人はどこにいても自分をなすということでない時なんぞありはしません。(ここ大事)
人は人から仕事を頼まれても自分の時間でない時はありません。(ここチョー大事)
そういうことを自覚して自由になる場が修行道場です。
なぜなら、いつでも、どこでも、何をしている時であっても、ただ、この身は、こういうことと和して、そういうことをしている。
雑談もできます。
雑談しないでもおられるようにもなれます。
楽器こそありませんが、大自然の交響曲を感じられるようになれます。
なぜなら、坐禅とは全身が楽器、アンプ、スピーカーになることだからです。
美味しい料理も出てきます。
ステーキやイクラや大トロの寿司は出てきませんが、素朴なものでも美味しいと感じられるようになり、世界中がごちそうだらけになります。
なぜなら、坐禅はこの自己という六感、センサーを最上級の状態へと導く楽しい修行だからです。
囚われの身でありながらも自由になれます。どこへでも旅立てるようになれます。
天上界、人間世界、修羅ドンパチ戦争テロ組織、餓鬼界畜生界、893反社犯罪者心理に住する世界、それに虐げられる地獄界をも旅することができます。
なぜなら人間はみんな同じ心を持っているからです。
地獄も極楽も同じ一心。
坐禅をすれば人の心の本来賞を拝むことができて、自己のうちなる本尊様を拝むことができますから、六道も十界も行きたいところへ行くことができます。
その証拠に私も餓鬼界畜生界魑魅魍魎会の苦しみ世界にドボンダイブして、おかしな心理を正さんと活動もしてみた(実験)ことがあります。
尊敬する先輩僧侶は中国共産党、中国政府に他国侵略を止めろと手紙を書いたこともあるそうです。才能や力のある人がいればその人を天上界よりもさらに高い人間性の世界へと導くこともできます。そういう教導精神、導師の精神、世の人々、衆生をより豊かなこころへと導ける力を持てるようになれます。
なぜなら、坐禅は人間を人間世界のルールから解き放ち、人間の秘めている素晴らしい力を引き出す優れた修行だからです。
菩提心という志さえあれば、そういう大自在、大安楽、大教導精神を辞することが可能となるのです。詳しくはFBあんのん寺ページまで。

2026年5月11日 9:03
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有り難し
おきもち

お悩み相談  0429415940
毎週日曜午後三時から坐禅法話会 費用:任意にて500円~の志納 お悩み相談 0429415940(無料)お気持ちで浄財志納歓迎 月火水木金土日 8:00~21:00

環境を捨てる体験

ご質問いただきありがとうございます。

修行道場というと、「一日中無言で座禅をしている世界」を想像される方も多いですが、実際はもう少し“生活”に近いものです。

私が過ごした修行道場でも、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という考え方で動いていました。

つまり、

・座る
・歩く
・食べる
・掃除する
・眠る
・話す

そういった日常のすべてに作法があり、まずはそれを身体で覚える毎日でした。

入って間もない頃は、本当に余裕がありません。
作法、時間、動き方、お経、法具の扱い、先輩後輩との関わりなど、覚えることが次々に出てきます。日常生活の流れを覚えたと思ったら、お経の練習、仏教の勉強、座禅、檀家さんへのお参り、行事の設営や運営などもあり、「自分の時間」というより、“まず道場の流れについていく”ことで精一杯でした。

そのため、新しく入った修行僧ほど、雑談よりも「覚えること」に時間も意識も使います。
一方で、長く修行されている方は流れや仕事を把握しているため、少しずつ余白が生まれます。
作業の合間に話したり、お茶を飲んだりする時間も出てきます。

ですから、「自由時間が全くない」というよりは、「自分で自由時間を作る」ように動いていくことになります。

私は、修行道場での経験を通して、
「自分の人生を、自分で決めていく覚悟」の大切さ
のようなものが少し育った気がしています。

人は自分の弱さを知るからこそ、他人の苦しみにも気づけるのだと思います。
修行道場では、疲れや不安、焦りや孤独の中で、人がどれだけ余裕を失うのかを、自分自身で体験しましたし、修行僧の中にもできている人もいればそうでない人もおられます。

だから今は、誰かの言葉や態度の奥にも、
その人なりの苦しさや事情があるのかもしれないと、少し立ち止まって考えられるようになった気がします。
さらに、修行道場では、これまで自分にとって「当たり前」だった環境から一歩外へ出ることになります。
食事が出てくること。
服が整っていること。
時間通りに物事が回ること。
誰かが先に準備してくれていること。

それらは決して当たり前ではなかった。
修行の中で、人は初めて「有難い」という感覚を身体で知っていくのだと思います。
ごく当たり前だけれど忘れがちな事実を、もう一度学び直す時間なのかもしれません。

2026年5月8日 11:08
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有り難し
おきもち

山の中の小さなお寺の住職と児童福祉施設で働いております。 毎日いろんな出来事がありますが、そのたびに、「仏教って、生きる力そのものなんだなぁ」と感じる瞬間があります。 ハスノハを始めたのは、友人の僧侶が青空説法で、人の悩みにまっすぐ寄り添っている姿を見たのがきっかけでした。 「自分にも、こんなふうに誰かの心に光を届けることができないだろうか」 そんな思いから、この場に身を置かせてもらっています。

質問者からのお礼

ご丁寧にありがとうございました

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