得度を受けるというのは重大な事なの?
重度重複障害者施設にて直接支援・相談支援を行っています。
同じ福祉職で僧侶の方がいて、その方の言葉を受けて安心して旅立てる・見送れるというケースを見て、その様な支援を提供出来る人間になりたいと思いました。
元々、神仏全般に興味があり研究・論文発表もしていて、お経を唱えたり山伏的な事をしたりしていたので、一定の知識はあると思っています。
人と比べる失礼を承知で言えば、前出の福祉職の僧侶の方は阿闍梨位ですが単立寺院の資格ビジネスに騙された様な存在なので、その方よりは知識が上だと思います。
ただ、相手が求めているのは「知識人からの言葉」では無く「僧侶からの言葉」なので、ニーズの不一致が生じている感じです。
師僧となってくれる方を探していて、自作の名刺を持って飛び込みで何件も廻っていましたが全滅。
しかし本日「私の知人で、社会人を続けたままでも良いと言ってくれている真言宗の住職さんがいる。」という連絡がありましたが、車で2時間程度離れた場所なのです。
得度を受けたら終わりという礼を欠いた事はしたくないので、自宅から通える範囲で考えていましたが、何十年も関わっていくには100kmという距離は遠すぎます。
紹介してくれた方には「あまりにも遠方だと週末にしか通えないので失礼にあたるのでは?今後のお付き合いの事も考えると近隣で探したい。」と伝えましたが「弟子を取るという事は戸籍に加えるのと同じ位に覚悟のいる行為だから、今回のご縁を流したら二度と得度を受けられないかもしれない。お寺の家系ならばまだしも、何の縁のない方が師僧を探すというのは、あなたが考えている以上に大変な事。ある意味では今後の修行よりも大変な事かもしれない。」と言われてしまいました。
「戸籍に加える程に…」というのは、宗教法人の規定にある「世襲の場合は血縁者…」という部分から来た言葉だと思いますが、本業を続けながら得度を受けたいという事からも、寺を継ぐという程の覚悟はありません。
得度を受ける事をそこまで重大に捉えていなかったのですが、住職さん側の立場として「弟子を取る・得度を授ける」というのは「戸籍に加える程に重大な決断」なのでしょうか?
正直なところ「社会人を続けながら…」という部分から「住職になる程の覚悟は無い」という様に汲み取ってくれないかな?と思っていました。
重度重複障害者の支援団体で働いています。 ターミナルケア・グリーフケアに関わる事が多く、仏教的な視点からのケアをを提供したいと模索中です。
社会的に必要性が高く、やりがいがある仕事だが、収入がそれに見合っていない事。 それによって、家族に経済的な負担を強いているという負い目がある事が悩み。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
立場でのチームの看取り。あなたにしか出来ないサポートを。
先生方が仰っているように、お得度を受けるということは、仏弟子になり、仏道を歩むということです。それは、人生においての覚悟となります。住職は、受け入れた僧侶となる者(あなた)の保護者的存在になるのです。僧侶を抱えていくということは、その指導や責任、本山への賦課金にも影響するでしょう。お寺の負担にもなってきます。それぞれのお寺にも事情がありますから、本来なら信頼関係を築いた上でないと、難しいこと。それも含めて受け入れていいと言ってくださる住職は、限られるでしょう。
それぞれの立場でできる役割もあるのではないでしょうか。僧侶が求められていること。医療福祉従事者が求められること。
私は日頃、行政の相談員・支援員をしていますが、支援の幅は大きい。ご本人や、ご家族にいたるまで。あなたには、積み重ねてこられたキャリアがあります。それぞれの立場でのチームの看取りを。あなたにしか出来ないサポートを。
そして時間をかけながら、仏道を歩んでくださいね。
「戸籍に加えるほどの覚悟」は、決して大げさではありません。
重度重複障害者施設にて、利用者様が安心して旅立てるよう「僧侶としての言葉」を届けたいという尊い志に、深く敬意を表します。現場でのご経験や神仏への深い造詣は、既に多くの方の支えとなっていることと存じます。
ご質問の「得度を授けることはそれほど重大か」についてですが、知人の方の「戸籍に加えるほどの覚悟」という言葉は決して大げさではありません。得度とは単なる資格取得やビジネス上の契約ではなく、仏道における「師弟」という深い法縁を結ぶ儀式です。本業の有無や寺を継ぐかにかかわらず、師僧は弟子の身元や僧侶としての品格を一生涯にわたり保証する責任を背負います。包括団体の規定が厳格なのもそのためであり、時間をかけて信頼関係を築いていない方に、二つ返事で得度を許す住職がいないのは当然の帰結とも言えます。
車で2時間という距離を懸念され、無理なく通える範囲で探したいというお気持ちもよく理解できます。しかし、縁もゆかりもない方が師僧を見つけるのは非常に困難であり、今回の紹介は大変得難い「仏縁」であったのも事実です。
ここで一度、ご自身に問いかけてみてください。利用者様が安心感を得るのは「僧籍という肩書き」からでしょうか。もしかすると、他者の痛みに寄り添い、共に在ろうとする「あなたの覚悟や生き様」から滲み出るものこそが、本当の救いとなるのではないでしょうか。僧籍は国家資格ではないため、日本の「信教の自由」のもと、僧籍がなくとも祈りや心のケアを届けることは十分に可能です。
どうしても在来仏教の僧籍が必要なのか、あるいはご自身の持つ知識と真心で独自の支援を深めていくのか。本来の目的である「目の前の方の安心」に立ち返り、今後の進むべき道を思案していただければと存じます。あなたのその温かなお気持ちが、より良い支援の形となることを心より願っております。
得度にはその教団の僧侶として活動していく心構えが必要です
現在ではどの宗派の僧侶の資格も公許ではなく、その宗派によって私的に認定されているだけですから、たとえば自ら新しい宗派を開いて自ら認定しても同じ事です。極言すれば単立寺院の資格ビジネスによる「得度」も伝統教団の僧侶となる「得度」も社会的には違いはありません。
なぜ伝統教団のお坊さん達の多くが「得度」にこだわり、慎重なのかといえば、それぞれの教団には宗旨(その教団たらしめている教えの体系)があり、その教団の僧侶を名乗る以上、そこから大きく逸脱するような言動を取られては困るからです。
私自身の経験もふまえて言えば、わざわざ在家から得度を求めてこられる方の中には「マイ仏教」に固執されている方が少なくありません。また、その教団の僧籍が欲しいだけで、宗旨など全く関心が無いという方もいます。
私の所属する曹洞宗で得度を希望する志願者がおられたとして、その後、曹洞宗の僧籍を得ていながら、さかんに護摩を焚いたり水垢離しながら九字を切られては困りますし、「坐禅?いや、そういう足の痛いのはけっこうです」と言われても困るのです。
実際に私の知り合いのお坊さんには、志願者の方を誠心誠意お世話されて修行道場に送り出したら「こんなもの仏教修行ではない。だまされた」と逆恨みされたとか、資格を取得した途端に連絡が途絶えてしまい、あちこち尋ねて行ってみたら「勝手に来ないでください。師匠ズラしてストーカーですか」と罵倒された方もいます。
この教団で得度する以上、この教団の僧侶として活動していく心構えの程をみせて下さい、納得させて下さい、というのが師僧となる側からの気持ちだということです。現に伝統教団のお坊さんであり、得度志願の方と対面したことがある方であれば、ほとんどがこのように思われるのではないでしょうか。
そのような気持ちから言えばご質問の文にある、社会人を続けたままでも良いと言ってくれている住職さんという方は、とても親切な、ありがたい方だなと思います。
質問者からのお礼
釋聴法(ちょうぼう)様
ご回答ありがとうございます。
深い縁を結ぶ・一生涯に渡って保証する責任を負うという言葉の重さ、再認識致しました。
個人的にも得度を受けたならしっかりとやりたいと考えていて、それ故に仕事が休みの日にしか行けない距離に悩んでいます。
包み隠さずに言えば、肩書が無い事で安心感を与えられていないという部分があります。
祈りや心のケアを届けても、相手が「と言ってもあなたは僧侶じゃないでしょ?」という立場で拒絶する感じです。
自分の言葉がどの様にすれば相手に受け入れて貰えるのか?という事を、時間を掛けて考えていきたいと思います。
百目鬼洋一 様
ご回答ありがとうございます。
普段の生活などから真言宗の考え方が合致していると思い、真言宗で得度を受けたいという考えに至りました。
単立寺院を何故拒否してるか?ですが「10万円で得度・3百万円で別院建立可」という様な金儲けの手段としての宗教という考えが共感出来なかったからです。
洋一様やお知り合いの方の方が経験された様な非常識な考えは持っていませんが、それを伝える・理解して貰う術が無いというのが非常に歯痒いです。
普段から解放されている様な寺院で写経や座禅会を開催している所ならば通って縁を…という事も出来ますが、自分の周囲にある寺院はどちらかと言えば閉鎖的な感じでした。
真面目な気持ちを持っているからこそ、今回の申し出は非常に悩んでいます。
非常に有難い話ですが、お休みの日にしか行けないという負真面目さが個人的に許せないのです。
中田 三恵 様
回答ありがとうございました。
反対する家族・実家を説得しての得度だったので、自分の中では相当な覚悟を持って決めた事だと思っています。
既に相談員・支援員と僧侶を両立されているとの事、素晴らしいと感じます。
まだまだ人生は長いですし、時間を掛けて悩みながら決めていきたいと思います。



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