僧侶志望と親の反対について
高校2年生です。僕は「お東さん」の僧侶になりたいと考えています。
昨日、その思いを母に伝えたところ、「いきなり宗教者になるのはやめたほうがいいのではないか」と言われました。理由としては、先に社会経験を積んだほうがよいのではないか、ということでした。
僕としては、できる限り親の意見も尊重したいと考えています。一方で、自分の将来や夢を決める権利は自分にあるとも思っています。そのため、まずは教師資格だけでも取得しておくという道もあるのではないかと考えています(所属寺の意向にもよるとは思いますが)。
また、別院の事務員として働くことで、一般社会で働きながらお寺にも関わるという形もあるのではないかと考えています。ただ、別院の事務員は採用が難しいとも聞いています。
個人的には、大学進学の機会を逃してしまうと、所属寺を見つけるのにかなり時間がかかるのではないかとも感じています。
このような状況について、どのように考えるべきか、ご意見をいただければ幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お寺へ参り、聴聞を重ね、互いの関係を築いていくことが必須です
お坊さんになることは、夢なんですね。キッカケになる何かがあったのでしょうか。
進む道としては、やはり所属寺を探す必要があります。お得度に参る時に、所属寺 住職の承認が必要になり、僧籍の取得後もそのお寺に所属となるのです。ですから、所属寺は大事に決めなければなりませんし、あなたの想いや志を理解くださる住職に出会っていただきたいです。
住職としては、承認すると あなたの保護者となっていく立場となります。そのために、お寺へ参り、聴聞を重ね、互いの関係を築いていくことが必須です。
僧侶になるには、様々な学びを何年にも深めなければなりません。また、法衣や書物など購入をしていくためにも、お金がかかります。僧侶になった後も、聴聞を重ね、勉学布教の学びの毎日です。
僧侶を求める人たちには、社会で苦悩を抱えた状況にある人もいるでしょう。お母さんがおっしゃるように、社会経験も役立ちますよ。
その準備、継続、覚悟があるのか。
自分自身に問うてみましょう。
あなたと共に、お念仏申せることが、私は嬉しいですよ。
南無阿弥陀仏
ご家族のみなさんで、よくよく相談されてください
質問文を拝見して、親御さんとご自身の意見を調整して進む選択を、すでにご自身でいくつかお考えになっているのがわかりました。たいへんご立派であると思います。
人の生きる道筋はまっすぐ一本道ではありません。脇道にそれたり、後戻りしたり、大きく迂回しても結果としてちゃんと目的地に着いたり、試行錯誤しながら進んでいくものです。お坊さんになるにあたって有益な社会経験もあるでしょうし、逆の効果しかない社会経験もあるでしょう。
ご家族でよくよく相談して、みなさんが納得できる道筋をみなさんで選ばれることをおすすめします。
少々乱暴な言い方をすれば、お坊さんの資格を取ること自体は一個人のライフイベントとしては、たいした出来事ではありません。特定の宗派の僧侶として登録されるという、半ば事務手続きにすぎません。嫌になったらやめればいいだけです。
「お坊さんになる」ということと「お坊さんの資格を取る」ことは同じことのようですが、実際にはずいぶん違います。お坊さんになるにはお坊さんの資格を取ることが必要ですが、お坊さんの資格を取ったからといってお坊さんになれるかというと、そういうわけでもありません。
お坊さんを「出家」ということもありますが、この「家」というのは実家ということではなく世俗の生き方を指します。仏の教えを実践するために、やむを得ず世俗の人の生き方とは別の生き方をします、ということです。
現在では、お坊さんの活動も社会経済の中に組み込まれてしまっていますから、外形としては個人事業主とか会社員と同じように見える側面もあるかもしれません。ですが、別の側面では世俗の人には許される振る舞いが許されず、世俗の人には求められない振る舞いを求められることがあります。
ご家族のみなさんで相談される時に、そういう点についてどのようにお考えになるのかと言う視点も忘れずに、じゅうぶんお話し合いされることをおすすめします。
私のお寺が あなたの近くだったらな!!
高校2年生で「お東さんの僧侶になりたい」という志を持たれたことに、とても感動しています。その志のきっかけには、どのような出来事がありましたか?また、今でもその思いが変わらないというのは、その後のどのような歩みがあったからでしょうか?どなたか尊敬するお坊さんとの出会いや関わりがあったのでしょうか?所属する寺院の門徒として生きることと、僧侶として生きることの違いをどのように受けとめていますか?あなたにお尋ねしてみたいことがたくさんあります。
そして、具体的には、僧侶になるための手続きをいつスタートさせるのか、どのタイミングで得度をいただくのか、僧侶として専業で生きていくのか、将来はどちらかのお寺の住職を担おうと考えているのか・・・。あなたには、漠然としたイメージを具体的な形に落とし込んでいく「壁打ち」が必要になると思います。私は本願寺派の住職で、大谷派の制度は詳しくありません。実際に、壁打ち(=相談)相手となり、指南役になってくださるお東のお坊さんがおられますか?
自分の思いをしっかり言語化し、お坊さんに具体的な相談していく過程で、お母様の言葉に対する受け止め方も変わってくるでしょう。この言葉は、あなたの志と対立するものではないと、私は受けとめました。私には、どちらも「あなたが人々に寄り添える僧侶になってほしい(なりたい)」という願いの、異なる表現に思えました。お母様は、まず、あなたが社会の中で生きる人々と出会うこと、あなた自身も喜びや悲しみ・社会の理不尽や矛盾をしっかり経験すること、この大切さを伝えたかったのではないでしょうか?
「何をして生きていったらいいかわからない」と考える若者が多い中、僧侶という志を持っていることは、とても尊いことです。どうか、お寺の色んな行事・仏縁に参加して、生身のお坊さんにたくさん出遇ってください。「こんなお坊さんになりたい」という方と出遇えたら、そのお坊さんに思いの丈を語ってください。きっと、色んなアイデアをいただけると思います。もし近くにお寺があれば、その行事に参加したり、ボランティアとしてお手伝いすることは今からでもすぐ実現できますね。(私のお寺がもしあなたの近くだったら、毎月の子ども会やサマースクールに手伝いに来てほしいくらいです。)
これからも、ハスノハ一同応援しています。
質問者からのお礼
ご回答、ありがとうございました。
色々と悩んで自分に適した生き方を見つけます。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )