僧侶志望と親の反対について回答受付中
高校2年生です。僕は「お東さん」の僧侶になりたいと考えています。
昨日、その思いを母に伝えたところ、「いきなり宗教者になるのはやめたほうがいいのではないか」と言われました。理由としては、先に社会経験を積んだほうがよいのではないか、ということでした。
僕としては、できる限り親の意見も尊重したいと考えています。一方で、自分の将来や夢を決める権利は自分にあるとも思っています。そのため、まずは教師資格だけでも取得しておくという道もあるのではないかと考えています(所属寺の意向にもよるとは思いますが)。
また、別院の事務員として働くことで、一般社会で働きながらお寺にも関わるという形もあるのではないかと考えています。ただ、別院の事務員は採用が難しいとも聞いています。
個人的には、大学進学の機会を逃してしまうと、所属寺を見つけるのにかなり時間がかかるのではないかとも感じています。
このような状況について、どのように考えるべきか、ご意見をいただければ幸いです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご家族のみなさんで、よくよく相談されてください
質問文を拝見して、親御さんとご自身の意見を調整して進む選択を、すでにご自身でいくつかお考えになっているのがわかりました。たいへんご立派であると思います。
人の生きる道筋はまっすぐ一本道ではありません。脇道にそれたり、後戻りしたり、大きく迂回しても結果としてちゃんと目的地に着いたり、試行錯誤しながら進んでいくものです。お坊さんになるにあたって有益な社会経験もあるでしょうし、逆の効果しかない社会経験もあるでしょう。
ご家族でよくよく相談して、みなさんが納得できる道筋をみなさんで選ばれることをおすすめします。
少々乱暴な言い方をすれば、お坊さんの資格を取ること自体は一個人のライフイベントとしては、たいした出来事ではありません。特定の宗派の僧侶として登録されるという、半ば事務手続きにすぎません。嫌になったらやめればいいだけです。
「お坊さんになる」ということと「お坊さんの資格を取る」ことは同じことのようですが、実際にはずいぶん違います。お坊さんになるにはお坊さんの資格を取ることが必要ですが、お坊さんの資格を取ったからといってお坊さんになれるかというと、そういうわけでもありません。
お坊さんを「出家」ということもありますが、この「家」というのは実家ということではなく世俗の生き方を指します。仏の教えを実践するために、やむを得ず世俗の人の生き方とは別の生き方をします、ということです。
現在では、お坊さんの活動も社会経済の中に組み込まれてしまっていますから、外形としては個人事業主とか会社員と同じように見える側面もあるかもしれません。ですが、別の側面では世俗の人には許される振る舞いが許されず、世俗の人には求められない振る舞いを求められることがあります。
ご家族のみなさんで相談される時に、そういう点についてどのようにお考えになるのかと言う視点も忘れずに、じゅうぶんお話し合いされることをおすすめします。


