あるテレビ番組について回答受付中
お坊様方、こんばんは。
ちょっとモヤモヤしたので相談します。
日本テレビ系列の『24時間テレビ』についてです。
私は、ある人のガンにより、ひどい目に会ったので、ガンの研究などへの募金を、24時間テレビで受け付けていたので、ごく少額を募金しました。
しかし、ネット動画を見ると、過去に起きた募金の着服事件や、マラソンは、途中でワープ(車で移動)しているのではないかと、いうような疑惑や、障がい者を見せ物にしているのではないかと言う批判を見て、私は少し悲しくなりました。
不正が行われていたのなら、正さなくてはいけないかもしれません。
しかし、この世で善を行うとすると、大なり小なり『偽善的』な要素が入り込むと思います。
私も、正確な判断はできないかもしれませんが、芸能人が24時間マラソンをするのは、無理があるのではないかと、思いました。もっと負担が軽く、できるようなことをしたほうが良いのではないか、と私は思いました。
お坊様方におかれては、どう思われますでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが誰かの苦しみを思って差し出した善意は、尊いものですよ
ご相談ありがとうございます。
まず最初に、あなたが募金をされたお気持ちは、とても尊いものだと思いますし、その善意があったからこそ、不正疑惑や批判を目にして、悲しい気持ちになられたのだと思います。
もし不正があったのであれば、それは正されるべきでしょう。
以前までの私も不正の情報に触れた時に、あなたと同じように感じ憤りましたし、自分の気持ちを食い物にされたようで、悔しい思いになったこともあります。
一方で、不正があったからといって、そこに寄せられたすべての善意まで否定されるわけでもないと、今では思うようになってきました。
ですから私は、行為だけでなく、その行為を起こした「心」も大切にしようと考えています。
あなたが募金をされたとき、「困っている人の役に立ってほしい」
という願いがあったのであれば、その心そのものは失われません。
また、「善を行うときには、どこかに偽善的な要素も混じるのではないか」というお考えについても、私はある意味ではその通りだと思います。
感謝されたい気持ちもあるでしょうし、自分が納得したい気持ちもあるでしょう。
しかし、そうした思いが少し混じっていたとしても、人を助けようとする行いまで無価値になるわけではありません。
むしろ現実の善意というものは、そうした人間らしさを含みながら行われているものではないでしょうか。
24時間テレビについても、さまざまな意見があると思います。
ただ、その企画によって何かが助けられる一助になっていることも事実だと思います。
何かを評価するときに、「完全な善でなければ価値がない」
あるいは「一つ問題があれば全部悪だ」と言うのも違和感を覚えています。
現実の世の中は、良い面もあれば改めるべき面もある。
そういうものではないでしょうか。
善意を疑い始めて、善を行う気力そのものを失ってしまうことは
非常に悲しいことになるように思うのです。
もちろん不正は正されるべきです。
しかし、不正を憎むあまり、
「どうせ募金しても無駄」
「どうせ偽善だ」
「どうせ誰かが得をしている」
となってしまうと、今度は本当に困っている人へ向かう善意まで痩せてしまいます。
ですから、あなたが誰かの苦しみを思って差し出した善意は、24時間テレビの評価とは別に、大切なものだったと思いますよ。


