これからの世の中、どうなると思いますか回答受付中
「また始まった」と思われるかもしれませんが、ここ数日の世界情勢に強い恐怖心を抱いております。資本主義社会や物質的世界に限界が訪れているのを感じ、奪い合いの果ての第三次世界大戦が遠くないもののように思えて仕方ありません。
それでいながら、神仏のご加護や救いを信じることもできません。もしそんなものがあったとしたら、この世界はここまでの惨状になってはいないはずです。そもそも、自然界の残酷な在り方を前に御仏のお慈悲をどうやって信じれば良いのでしょうか。
1人で考えていると袋小路に至るので、まずはこの世界がこれからどうなると感じていらっしゃるか、考えていらっしゃるか、率直にお聞かせください。私なんぞの絶望的な将来しかない世界が否定されることを望みますが、それに値する根拠がこの世界に無さすぎてどうしようもなくなっています。
私は、人類史の終わりがすぐ近くまで来ているかのように感じています。そうでなくても、今までの社会の維持はもう不可能で、奪い合うことでしか生きられない世界になっていると思います。これが思い込みだというのなら、今の世界情勢をどう捉えていますか?
恐らく私は老後を迎える前に戦争や災害に巻き込まれて死ぬでしょう。そう思いながら今まで生きてこられた、今もまだ生きている、ごもっともです。しかし、毎度毎度「もう終わりだ」思いながら生きてきましたし、その恐怖は軽減されるどころか更新され続けています。ずるくて欲深い人間が世界の操作権を握っている現状、どこにも安全地帯なんてありません。成仏できるなら、涅槃に至って物質世界から逃れられるなら良いのですが、結局はまた何か別の生き物の脳味噌が「自分」になって、物質世界で永遠に死と生を繰り返すだけです。本当は救われたいのに、物質世界の真実があまりにも強すぎて、仏教の教えこそ「人間が頭の中で作り出したもの」としか思えません。あまりにも無力。
自分の生活に集中するのが恐ろしいです。今の生活さえ世界から見ればかなり恵まれているという事実も、それさえ困難が避けられないという事実も、この人生が終わったらもっと過酷な世界に産まれるという事実も、物質世界の全てが恐ろしくてたまりません。けれど、ずっと同一の「自分」であるというのも無理かかかるので、いつかはまた餓鬼道や畜生道に生まれなければならないのでしょう。酷い殺され方をされる覚悟を持たなければ。
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
お坊さんからの回答 2件
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ご質問ありがとうございます。
お釈迦様がいた時代も戦争はありましたからお釈迦様のいない今の時代に戦争を止めることはなお更に難しいことかもしれません。
「他者のしたことしなかったことを見るな、自分のしたことしなかったことを見なさい。」
これはお釈迦様の教えです。
世界中の政治家や権力者がなにをしているかばかり気にせずに、自分の日々の行いに集中しましょうと解釈することもできると思います。
もちろん選挙もありますし国の将来のための知識として世界情勢を知ることは良いことではありますが。
ネットの情報も半分は嘘や悪質な切り抜き加工と言われていますし、テレビのニュース番組も視聴率優先の内容に偏りがちです。
ネットやテレビの内容に振り回されないように自分の目の前のことに取り組むことが大切だと思います。
また、生まれ変わった後のことも不安のようですが、私は物質から離れて浄土(天国)に行くと思っていますよ。
安心してください
拝読させて頂きました。
あなたがこれからの未来に不安や恐怖を抱えていることを読ませて頂きました。あなたがその様にお感じなさることとてもよくわかるよう感じます。あなたのお気持ち心よりお察しします。
あなたがお考えなさるように世界の巨大国家の権利者達が自分達の欲望を優先して争い合っています。本当に愚かなことを繰り返していますよね。それが私達であることを自覚は致します。その様な歴史は繰り返してきました。
そして「栄枯盛衰勝者必滅」おごれるものは久しからずです。どこぞの大統領達も全ていずれ死にます。他者から奪ったものも自分のものにはなりません、全て手放していかなければなりません。ですからいかに無力であり、思い通りにはならず争うことが如何に愚かであるかを私達は痛いほど知らされます。
「善因楽果 悪因苦果」悪意や悪言や悪行を行ったものは全てその報いを受けます。亡くなっていく時には自らの罪悪を深く深く後悔することになります、深く反省することになります、深く神仏に懺悔することになります、深く誠意を尽くして謝罪することになります、あやまちを犯さぬようにと誠心誠意誓うことになります。
もし反省も懺悔も謝罪もせずにいれば永遠に迷い続けて自ら苦しみつつけることになります。
仏様は真理を私達にお伝えなさって下さいました。その真理は今でも存在しています。現在でも私達は真理である仏様の教えを知ることができます、真理を受け取ることができます、そして救われることができます。
かつて平安時代には末法が訪れその後の世界では仏教の教えや真理も無くなってしまうと言われましたが、実際には末法を過ぎて千年後でも仏様の教えはしっかりと残っています。
「諸行無常 諸法無我 涅槃寂静」はしっかりと残って今尚輝いています私達をお救いなさって下さっています。
そして「四諦八正道」の道も示され私達は正しい道を歩んでいくことができるのです。また「南無阿弥陀仏」ととなえれば必ず仏様はお導きなさって下さいます。ですから安心なさって下さい。
世界が迷い苦しみがあったとしても仏様の真理が残り、私達あまたの衆生をお救いお導きなさって下さいます様に、あなたが仏様を信じて心から健やかに与えられた命を生き抜いていかれ、救われていきます様に心から神仏にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
テレビが視聴率重視の番組しか作らないからこの国はどんどん平和ボケして腑抜けていくんです。就任したての某国大統領の独善が暴走した発言の数々に危機感を覚えているのです。今の自分の生活に集中することで戦争が防げるのならそうします。瞑想で自分の中を整えることでミサイルがこっちに飛んでこなくなるのならそうします。そうならないからできない。それだけのことです。この世界において私の存在などちっぽけで無力。そんな自分に集中したところで何にもなりません。
死んだ後に本当に浄土に召されるのだとしたら、どうしてこの世界から悲劇がなくならないのでしょうか。浄土が本当に存在する根拠はどこにあるのでしょうか。悪い物事への信憑性ばかりが強すぎます。浄土での私たちはどんな形をしているのでしょうか。ただの粒子のようなものになれたらきっと良いのですが。
某北国の侵略戦争が発生した際、私が住んでいる北海道にも侵略する計画があったそうですよ。結果的に無事なだけです。今の世界は平和なんかじゃありません。
だからその愚かな人間たちが裁かれていないから今の悲劇的で殺伐とした世の中があるよです。このままでは救いが来る前に殺されます。ここに警鐘を鳴らします。私のような末端の人間でもちょっと調べれば今の世界が不安定でいつ戦争が起こるかわからない、野心剥き出し、弱肉強食の野生動物と変わらない、それどころか好き嫌いで命の選抜を行う野生動物以下の世界です。もうね、ここ自体が修羅道。どうして安心してくださいなんて呑気なことが言えるのですか。「死んだら救われます。安心してください」ということですか。
もう解決方法なんてどこにもないから茹でガエルのように気がついたら破滅しているとかそういう末路しかないんですね。だから自分の生活に集中していればいいなんて呑気なことがいえるんですね。ありがとうございます。破滅が来るまでは未来を食い潰してのうのう生きます。どうせ50年後なんてない。