優しさを否定する文化について回答受付中
近年世間では、優しさの押し売りという言葉が流行しています。感謝する文化から優しさを否定する文化へと日本人の思想が変化したのは何故だと思いますか?
確かに迷惑なものもありますが、人命や趣味に対しても最近では使われ始めてきました。
御朱印やお守りなどでお寺参りする人が増えた一方で、仏教そのものの考え方は廃れている気がします。今、お寺に求められていることは何だと思いますか?
自分が正しいと思ったことを行動して、何が悪いのでしょうか?他人が自分のお節介をどう捉えようと、自己欲求を満たす為だから気にしないようにはしていますが、やはり生きづらいです。
お坊さんからの回答 2件
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ケースバイケースかな。「優しさ」「親切」どのように受け取るか
ケースバイケースかなと思っています。「優しさ」「親切」をどのように感じ、受け取るか、状況や人によって違いますものね。
あなたのお節介という自己欲求を満たす行為は、誰かのために向けられるのかな?それなら、相手も喜んでくれたら、嬉しいですよね。
社会貢献も何のために?と問われたら、きっかけや原動力は人により違ってきますよね。誰かのために。役立ちたい。自分の成長。自己啓発。社会をより良くしたい。いろいろですよね。ですから、その想いを周りがとやかく言うのは、違うよねと思いますが、相手の気持ちを無視した行動では傷つけてしまう。やはり、状況に応じて進めることが、誰にとっても幸せに繋がるのではないかしら。
お寺や信仰をどのように捉えるのか、時代とともに変化もありますが、いつの世も悩める人がいて、生老病死の苦悩も尽きません。苦悩を抱えるお一人おひとりに、お坊さんは向き合っています。お参りを重ねながら、そこから繋がる縁を感じていますよ。
あなたの優しいお節介が、きっと誰かをホッとあたたかくしているのでしょうね。ありがとうございます。
プライベート重視社会
家族葬が流行っています。
また、「香典は辞退」という葬儀が増えています。
香典とかご祝儀とか入院のお見舞等は、ライフイベントにおいてご近所や友人知人同時が助け合う相互扶助的な役割があります。
しかし、そのような助け助けられる「お付き合い」を面倒だと感じる人が増えていますね。
他人に優しくして、自分も優しくされる、そのような人間関係よりも、他人から放っておかれたいプライベート重視の人が増えているのでしょう。
仏教そのものについては、そのような現在社会でも通用する教えだと私は思っています。
ただ、これまでの家単位の信仰だけでなく、個人単位の信仰が大切になってくるとは思います。