人に親切にできなかった後悔が消えないです
こんばんは。今日、バスでおじいさんに席を譲りそびれ、苦しい思いをしている中年女でございます。
その方は、いつ乗られたのか知らなかったのですが、私が気づいたときには出口近くの階段に「こりゃたまらん」という感じで腰を下ろしました。
その後、ほぼ猫が木に寄りかかって爪とぎをするような感じで、壁を這うようにして立ち上がり、ドアのそばに立っていました。
私はおじいさんのその力ない姿に衝撃を受けながらも、「もうすぐ降りるのかも知れない」と考えようとし、「様子を見る」ことにしてしまいました。
しかし、それが30秒後なのだろうが3分後なのだろうが、そんなことは気にせず、声をかけて譲ってあげるべきだったとすごく後悔をしています。
わたしは、「弱者に冷たい社会」の一部になっていました。
結局そのおじいさんはすぐに降りず、私の他に唯一おじいさんの存在を気にかけているそぶりを見せていた高齢の女性が、彼女の前の席が空いたタイミングで、「どうぞお座りください」と声をかけました。
そうしたら、「いや、いいんです、ありがとう」と、弱弱しいしぐさをしていたのとは対照的な元気な声がおじいさんから返ってきました。
それで私が安心したわけではありません。
「どうしておじいさんがドア付近に落ち着く前に彼をみた人たちは譲らなかったんだろう?」
なんて考えても仕方ないことでした。
人が冷たかろうが温かろうが関係なく自分が正しいと思ったことをすべきでした。
昨晩お坊さんの書いた本を読んでいたくせに、なにもお釈迦様の教えを実践できなければ意味がないと思いました。
これは懺悔でもあります。
でも、正直に言えば、私は今、ここでお話せずにはいられないほど悔やんでいて、できれば少し慰めの言葉もいただきたいのです。
おじいさんは弱弱しい見かけをした神様であった…と思います。
きっと、助けを必要としているどの方もそうです。
私は試されていて、自分から落第を貰いに行ってしまいました。
もちろん、今まで人に席を譲ったことは何度もあります。
しかし、それが埋め合わせになるわけでもなく、今日みたいな後悔はもうしたくないです。
自分の見栄や損得勘定を手放し、「自然に」人を助けられるようになるためにできることを、この機会に教えていただきたいです。
思い通りにならないことを思い通りにしようとすること
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人への思いやりや好意を持った自分を、ちゃんと褒めてあげよう
そんなことがあったのですね。あなたには、長い時間に感じたでしょうね。だから、何もできなかった自分が情けなく、罪悪感や自責を感じておられるのでしょう。
ですが、優しさを形にするのは、様々だと思います。あなたが行った「気にかける」も優しさだし、「声をかける」「席を譲る」のも優しさ。あの時、あなたも優しさを向けていたと思いますよ。
神様に試されていた…
そうだとして、思っていることと、行動することは違いますし、あなたの置かれていた状況もある。もっと近くにいたら、サッと声をかけられたかもしれない。おじいさんと目が合えば、どうぞと合図を送れたかもしれない。その一歩は、自然とできるポジションにもよるものなのです。
「自然に」も、バスや電車、道路、いつ気づき、自分がどこにいるのかで、行動も左右します。ですから、他人への思いやりや好意を持った自分を、ちゃんと褒めてあげましょうね。
悟りを得たお坊さんの答え
臨済宗、曹洞宗で数々の印可証明をお持ちの悟りぬいた昭和の禅僧井上義衍老師のお言葉に答えがあります。
これは、若い頃、師匠からお伺いしたことです。
埼玉県の聖地、所沢の長青寺さまに井上義衍老師が月に一度はるばる静岡県の浜松市から、提唱に来られていたそうです。
師匠は若い頃、老師の坐禅会に参加されていたそうで。
するとそこにあなたと同じような年齢の女性が、まさしくあなたと同じような質問をされていたそうで。
👩
ここへ来る途中、駅の前で空き缶や瓶を拾っている方がおられたんです。いいことはやったほうがいい、それは分かっているんです。いざやろうとすると人の目が気になって…、いい格好をしようとしているとか思われるのも嫌で、できなくなってしまうんです。
本当はいいことはやった方がいいと思うんですが、いざ、体が動かないんです。どうすればいいでしょうか。
そこで、井上義衍老師はこう言われたそうです。
あんたがいいとか悪いとか思わんでも、それをすれば、それをしたという事だけがきちんと行われる。
そこにあるものを、こっちにこう移せば、たしかに、アッチにあったものはコッチにちゃぁんと移るんです。そういうことがきちんと行われる。
ですから、(人の目とか気にせず、無条件で、こうした道理をきちんと知って、わきまえて)それをただ、そうすればええだけですわ。
( ゚Д゚)!
⚡この話を聞いて師匠は落雷を受けたような衝撃だったそうです。
事実にはコッチの「人の条件」とか都合とかまるで関係ない。
ただ、ものをこっちからアッチに移せば、ただ、そうしたことが行われるだけ。
人が不在。
事実は人の考えや見解を飛び越えてただ、そうある。そのようにある。
⚡私もこの話を聞いて落雷衝撃、ビックリぴょこぴー🐣目から鱗、鼻からぼたもち、開いた口ふさがらず、口から仏、鼻からエクトプラズム、ほっぺも我も落ちて開眼。心の縛りが解けて自在。
人間とは小さな条件付けが自分を縛るんです。
北朝鮮でさえ無条件ということを国民に指導しています。(あれは別の意味で搾取さですが…)
真の無条件とは年齢とともに育てて行ったらいいんじゃないでしょうか。
無条件こそは、観音の救いの手が瞬時に、即座に伸びる最高の仏の作用です。
私があなたにこう記すのも無条件です。
それが人間、みんなできるようになったらえぇんですわぁ。(老師風に)
「自分が正しいと思ったことをすべきだった」という痛切な気づき
ご相談ありがとうございます。おじいさまに席を譲れなかったことで、今も深く胸を痛めておられるのですね。「あの時、こうしていれば」という強い後悔は、あなたの本来の優しさと、他者を思いやる温かい心が根底にあるからこそ生まれる「苦しみ」です。
仏教では、さとりへの道として「八正道(はっしょうどう)」を教えます。席を譲るという行為は、正しい行いである「正行」に当たります。今回、たしかにそれを行動に移すことは叶いませんでした。しかし、私たち凡夫(ぼんぶ)にとって、常に完璧な実践を続けることは極めて難しいものです。ですから、できなかったご自身を過剰に責めたり、落第だと卑下したりする必要はありません。
ぜひ目を向けていただきたいのは、「声をかけて譲るべきだった」と心から悔やみ、正しくあろうと願うそのお気持ちです。これは八正道の「正思惟(しょうしゆい・正しい考え)」をすでに実践されている証であり、そのお心自体がとても尊いものなのです。
「見栄や損得勘定を手放し、自然に人を助けられるようになるには」との問いですが、無理に心を作り変えようとする必要はありません。今回抱いた「自分が正しいと思ったことをすべきだった」という痛切な気づきこそが、次への原動力になります。人間誰しも完璧にはなれませんが、その美しい「正思惟」を胸に留めていれば、次に同じ場面に出会った時、ごく自然に身体が動くはずです。
今回の出来事は決して落第などではなく、より優しいあなたになるための大切なご縁だったのです。
拝
縁起寺 釋聴法
これから助けてあげて下さい
拝読させて頂きました。
あなたの思いやお気持ちとてもわかるように感じます。お気持ち心よりお察しします。
あなたがおっしゃるようにその人はもしかしたら仏様神様だったかもしれません。或いはいずれ仏様神様になる方なのかもしれません。
どうかあなたのその思いを心から仏様神様に手を合わせてありのままにお伝えなさって下さい。あなたの思いを仏様神様に全て受け止めて頂きましょう。
仏様神様はあなたの思いを全て優しくお受け止めなさって下さいます。あなたに寄り添い善き方へとお導きなさって下さいます。
そしてもしもこれからそのようなことがあったならばぜひ親切に他者を助けるように仏様神様にお誓いなさって下さい。
あなたがこれからの未来に慈しみの心を持ち他者を大切になさり助け合いながら健やかに毎日を生き抜いていくことできますように切に仏様神様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
丹下 覚元さま
ありがたいお師匠のお話、誠にありがとうございます。
ほっぺと共に我が落ちる・・・ということは美味しいもの頂くと私の我も落ちるかな?などと考えている煩悩の塊ですが、「条件づけ」というキーワードが無明の扉を開けてくれる鍵となりそうです。
これをすれば私の株が上がる、落ちる・・・そんな私の都合を飛び越えた先にありのままの「事実」があるのですね。
私に和尚様がご回答くださったのが「無条件」というのを頭ではなく、心で感じることができました。
焦らず少しずつ前に進みたいです。
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釋聴法さま
「正思惟」は実践できた、というお言葉にはっとしました。
確かに、少しでも自分なりにできた部分を認めて、いきなり完璧を目指さないで「正行」に繋げていくことができそうです。
「落第」につきましても自分であれこれ評価するのは「慢」であるように思えてきました。
この出来事があってこちらに来ることもできましたし、まさにご縁だったと思っています。頂いた温かい励ましを胸に日常でお釈迦様の教えを実践できるよう地道に歩んでいきます。
どうもありがとうございました。
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東 好章さま
仏様神様にお祈りいただきありがとうございます。
住職のお言葉に、私はこのおじいさんに限らず、どの人にも光を見るようになれば、心穏やかに過ごせるように思えてきました。
世相が世相なもので、善悪で人を判断する気持ちが湧くことがあります。
誰かが悪いと思えれば楽だからです。
しかし、悪に吞まれてしまう私たちの弱さを仏様は見守ってくださっていることを忘れずに、私は私の道を進むべく、慈悲の心を灯に、精進したいと思います。
中田 三恵さま
励ましのお言葉ありがとうございます。
おかげさまで、私に「優しさ」が足りなかったのではないと思えてきました。
母にこのことを話したときも同じようなことを言われました。「近くにいたら譲れたんじゃないの?」と。
優しさが十分に発揮できるかはご住職のおっしゃるように環境にも左右されるかと思いますが、私は今後自分の気持ちをより素直に出せるように努めていきたいと思います。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )