懺悔についての質問回答受付中
懺悔についていくつか気になっていることがあります。
1.正精進は全ての罪を懺悔(全ての過ちをお坊さんに告白)して、可能な限り世間や当事者に過ちを告白したり謝罪や償いをしたりしてからじゃないと意味がないのでしょうか?
2.自分の過ちを人に話したり謝罪したりする際に言い訳しないことと人の落ち度を言わないこと、相手の状況に配慮すること以外に気を付けておくことはありますか?
3.世間に話したら当事者のプライバシーに関わったり、かえって相手に有害だったりする場合は話すのはお坊さんや当事者だけにするか場合によっては当事者に話すことを避けてもいいのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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保身を超えた懺悔にならないと懺悔にはならない
以下、引用返信です。
1.正精進は全ての罪を懺悔(全ての過ちをお坊さんに告白)して、可能な限り世間や当事者に過ちを告白したり謝罪や償いをしたりしてからじゃないと意味がないのでしょうか?
☛正しい精進と今の事実にしっかりと触れてそこに一切の介入がないことですから、何をするにも定期的にそのことが気になっているという時は、そのことをきっちり懺悔すること、懺悔をきっちり行うことも正精進ともなるわけです。
2.自分の過ちを人に話したり謝罪したりする際に言い訳しないことと人の落ち度を言わないこと、相手の状況に配慮すること以外に気を付けておくことはありますか?
☛本音で語ることが大事ですよ。あなたが相手によってどうしても納得がいかないことをされたのであれば、それを懺悔することだって必要なわけです。言葉にできない、表に出すことができない、でもどうしても納得がいかないということこそ、心にわだかまりとして残るのではないでしょうか。それを発露白仏することが懺悔なのですから、自身の本心、自身の仏としてのありよう、尊厳を汚すことがあればそこをきちんと懺悔することが大事でしょう。
3.世間に話したら当事者のプライバシーに関わったり、かえって相手に有害だったりする場合は話すのはお坊さんや当事者だけにするか場合によっては当事者に話すことを避けてもいいのでしょうか?
☛あなたがあなたの心の中でただしく懺悔ができることが大事ですから相手の事は別に匿名でも構わないものです。
宗教者は守秘義務がありますから、お伺いしたことを他に明かすことはありません。
当事者とあなたとの関係性が今後も続くのであれば、詫びるべきを詫び、懺悔すべことを懺悔して、そのためには保身も捨てて、本当に懺悔にならなければ懺悔したことにはならないのです。
テレビでも謝罪会見などで開き直っている人や、自分の保身を優先している人もいるでしょう。
あるいは形だけで謝ってアピールをしても、その後の賠償、償いから逃げている人もいるものです。
反社会の人たちや、昔で言うと忘八者と言われる人は、悪いことをしながらも、それを自分の保身やプライドで押し殺してしまっている。すると人の表情や人間性はどうなるかというと、そのようになるものなのです。
罪から逃れると、人はどうしても苦しくなるものなのです。
懺悔は自分の罪を認めて新たに踏み出す一歩
1. 行為は、心で思ってから言葉や体に表すものです。言葉や体に現れない心だけの行為が一瞬ごとに起こっています。正精進は、善に向けて努力する心の行為です。懺悔は、自分の罪を自分で認めて相手がいるなら相手に伝える、心と言葉や体を使う行為です。懺悔は、正精進の心の一部とも言えますね。
(全ての過ちをお坊さんに告白)→在家はお坊さんに伝える必要はありません。
「全ての罪」とは、自分が気づいていないこともあり得るので、という意味で、懺悔して完全に清まってから、という意味ではありません。心はいつも気をつけていないと一瞬ごとに汚れ得るものです。
2.自分の過ちを人に話したり謝罪したりする際に言い訳しないことと人の落ち度を言わないこと、相手の状況に配慮すること以外に気を付けておくことはありますか?
特定の相手への謝罪は、2.に気をつけるので十分だと思います。相手以外の人に話す必要はないと思います。
3.世間に話したら当事者のプライバシーに関わったり、かえって相手に有害だったりする場合は話すのはお坊さんや当事者だけにするか場合によっては当事者に話すことを避けてもいいのでしょうか?
2.を考慮して当事者にだけ懺悔してください。お坊さんも世間も関係ありません。



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