【再質問】ご意見を聞かせてください回答受付中
先日【罪人は何を言われても仕方がないのか】というタイトルで相談をし、3名の方から回答をいただきました。
しかしいずれの回答も、私が本当に聞きたかったことへの答えと少し違うように感じました。
そのため改めてご意見を伺いたく投稿しました。
私がお聞きしたいのは、以下の通りです。
・過ちを犯した人は、何を言われても仕方がないのでしょうか。
・正論を掲げて、その人の人格や本質まで否定することは正当化されるのでしょうか。
・謝罪をし、責任を果たし、改善に努めました。
それでも相手が納得しない場合、どこまで責任を負い、どのように償えばよいのでしょうか。
そして、責任を取ることと苦しみ続けることは同じなのでしょうか。
私は、自分の過ちを正当化したいわけでも、責任から逃れたいわけでもありません。自分の行動の悪かった点に向き合い、改善することは必要だと考えています。
一方で相手の言葉に傷つき、苦しんでいる自分がいます。自分は責任から逃れたいだけではないか、自分は何を言われても仕方がない、第三者からみても非難されて当然だから傷ついてはいけない。
傷ついて辛い悲しいと訴える感情としての自分と、逃げるな甘えるなと律する自分の間でわからなくなるんです。
責任を果たそうとすることと、自分の苦しみを抱え続けることを、どう考えればよいのでしょうか。
正義や責任、他者への批判と人格否定の境界について、皆さんのお考えを伺いたいです。
先にいただいた3名の回答も公開されています。
それらもご覧いただいたうえで、ご意見をいただければ幸いです。
※相手の心情を代弁して私の行為の裁定や人格評価するご回答はご遠慮ください。問題を判断する立場としての回答ではなく、自分ごととして問いそのものについてご意見を伺いたく思います。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがこれからを生きるために
拝読させて頂きました。再度ご質問頂きありがとうございました。あなたが自分のなさったことについてどう考えどうしていけばよいのか、と悩みなさっておられること伝わってきます。あなたのその思いを受け止めさせて頂きます。
1、過ちを犯した人は、何を言われても仕方がないのでしょうか?
→それぞれの人として生きる尊厳があります。過ちについては注意されるでしょうし、心から反省して謝罪して改善する必要はあります。しかしそれ以上に尊厳をおとしめらる必要はないです。
2、正論を掲げて、その人の人格や本質まで否定することは正当化されるのでしょうか。
→正論を盾にして他者の人格や本質を否定することは悪意であり、悪言であり、悪行です。そのようなことは罪悪です。他者を傷つけることは罪悪です。ですから正当なことではありません。そのように傷つけられる苦しめられる必要はないです。ですからあなたが傷つけられることはないのです。傷つける方があやまちを犯しているのです。
3、謝罪をし、責任を果たし、改善に努めました。それでも相手が納得しない場合、どこまで責任を負い、どのように償えばよいのでしょうか。
→心から謝罪し責任を果たし改善するならばそれで善いと思います。それでもなかなか許せないと思う方々もおられるでしょう、人間ですからね。とはいえ許さないのは煩悩であり、悪意です。許さない人は自らの煩悩による悪意•悪行により自ら苦しみを持ち続けていくことになります。
4、責任を取ることと苦しみ続けることは同じなのでしょうか。
→自らのあやまちをしっかりと知り、心から謝罪し責任をもってつぐない、改善していけば自ずと善き方に向かいます。それ以上に苦しみ必要はないですし、苦しみを手放しながら生きていくことがとても大切です。
仏様は私達をいつもお見守りなさっていて下さり、私達を善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたがこれからの人生をできるだけあやまちを犯さず、善き考えや言葉や行いを日々心がけ、人からおとしめられることなく安心なさって毎日を生きることできますように、あなたが皆さんとお互いのことを心から尊重し合い思いやり助け合いながら心豊かに幸せに生きていくことできますように切に仏様神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌



ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。
人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。
仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。