私は全く良い人じゃなかった回答受付中
私は全く明るくも優しくも良い人でも、人に褒められるような人ではありません。
というのも、体調を優先し転職したここ半年間、収入が減ったことで自宅に籠る日が続き自分自身と向き合う時間ができ、改めて自分はどんな人間なのかと振り返ってみました。今までの自分は優しくて人に寄り添ある人であろうとすることが私の良いところだと思っていました。でも、そんなのはただの鎧で中身は、押し付けがましくて、自分勝手で、嫉妬深くて、素直に感謝や謝ることもできず、嫌な事があれば態度に出てしまい、被害者ヅラして可哀想自分で思い込んで、人た向き合うことから避けてしまうそんな人間だと気付きました。
いい人フィルターを自分で必死にかけて中身を見ることからずーっと避けてきたのです。こんな自分に対して嫌悪感と過去の私を好いて下さった人たちへの申し訳なさと。さらに、そのとき私が好きだったものや、音楽、推しなどへの好きも偽りだったのではないかとなんとも言葉に表せない気持ちです。
罪悪感からかとにかく消えたくて、全ての関係を絶ちたい気持ちでいっぱいです。
本心ではなく作り物の優しさで優しい人になった気でいる上書き上書きの人生はもうやめたいです。
嫌な自分を抱えて生きていくってどうすれば良いのでしょうか。
他人の成功に嫉妬、過去の自分に執着し今の自分を受け入れられない、プライドが高く素直に謝れない、自分を律することから逃げてる
お坊さんからの回答 1件
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無理に自分を変えたり、取り繕ったりする必要はありません
ご相談ありがとうございます。ご自身の内面と深く深く向き合う中で、これまで見たくなかったご自身の醜い部分に気づき、嫌悪感や罪悪感で大変苦しんでおられるのですね。
人は誰もが「良い人でありたい」と願うものです。しかし、あなたが仰る「押し付けがましい」「自分勝手」「嫉妬深い」「素直になれない」といったお気持ちは、あなただけが抱えている欠陥ではありません。それは私たち全ての人間が等しく持ち合わせている「煩悩(ぼんのう)」から生まれるものです。
私たち人間(凡夫)は弱い存在であり、この煩悩を自分の力だけで完全に断ち切ることはおおよそできません。多くの人は、自分のそうした醜い部分から目を背け、気づかないふりをして生きています。「中身を見ることからずーっと避けてきた」と仰いますが、立ち止まり、目を背けたくなるような「ありのままの自分」を誤魔化さずに直視できた今回の気づきは、実はとても尊く、貴重な体験なのです。
ですから、どうかご自身を激しく責めないでください。阿弥陀さまの救いの一番の目当ては、立派な善人ではなく、まさに「煩悩を抱え、どうにもならない私たち凡夫」なのです。
「嫌な自分を抱えて生きていくってどうすれば良いのでしょうか」という問いですが、まずはその「自分への嫌悪感」をそっと手放してみてください。無理に自分を変えたり、これ以上取り繕ったりする必要はありません。「優しい人になろう」と必死にかけてきたフィルターも、あなたなりの思いやりだったはずです。
煩悩を抱え、不完全なままのあなたが、そのまま尊いのです。過去の自分を否定しすぎず、どうぞ肩の力を抜いて、自然体で「今」を大切に生きていってくださいね。
拝
縁起寺 釋聴法



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