私は全く良い人じゃなかった
私は全く明るくも優しくも良い人でも、人に褒められるような人ではありません。
というのも、体調を優先し転職したここ半年間、収入が減ったことで自宅に籠る日が続き自分自身と向き合う時間ができ、改めて自分はどんな人間なのかと振り返ってみました。今までの自分は優しくて人に寄り添ある人であろうとすることが私の良いところだと思っていました。でも、そんなのはただの鎧で中身は、押し付けがましくて、自分勝手で、嫉妬深くて、素直に感謝や謝ることもできず、嫌な事があれば態度に出てしまい、被害者ヅラして可哀想自分で思い込んで、人た向き合うことから避けてしまうそんな人間だと気付きました。
いい人フィルターを自分で必死にかけて中身を見ることからずーっと避けてきたのです。こんな自分に対して嫌悪感と過去の私を好いて下さった人たちへの申し訳なさと。さらに、そのとき私が好きだったものや、音楽、推しなどへの好きも偽りだったのではないかとなんとも言葉に表せない気持ちです。
罪悪感からかとにかく消えたくて、全ての関係を絶ちたい気持ちでいっぱいです。
本心ではなく作り物の優しさで優しい人になった気でいる上書き上書きの人生はもうやめたいです。
嫌な自分を抱えて生きていくってどうすれば良いのでしょうか。
他人の成功に嫉妬、過去の自分に執着し今の自分を受け入れられない、プライドが高く素直に謝れない、自分を律することから逃げてる
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間味。だから人生が、自己の成長や謙虚さを育む大切な歩みに。
自分を深く見つめることは、必要なことですね。ただ、欠点や至らなさを挙げていくと、誰だって完璧じゃないですし、良い人なんて自分では判断できない。それは、受けた相手が感じることではないかしら。
そして、いろんな状況を越え、立場によっていろんな自分を生き、そこにはいろんな姿の自分がいる。それが「私」の魅力でもあるんじゃないかしら。
清廉潔白に、慈悲深い仏様のようには、生きれないものです。でもね、いろんな自分がいるから、休めたり、本音が出たり、甘たり、諦めたりできるものなのです。
私も、僧侶の時や、母になる時や、相談員として相手に傾聴する時、いろんなことから解放されたい時、思考を止め休めたい時があります。常に良い人でいようとすると、自分には厳しくなって息苦しくなりますよ。
嫌な自分を抱えるって、人間味あるように思いますよ。だから人生が、自己の成長や謙虚さを育む大切な歩みになっていくのではないでしょうか。
これから先、あなたが出会う多くの人に、素晴らしい人や尊敬できる人にも出会っていくでしょう。その生き方から学んでいくことで、また深みある大人になっていけるのではないでしょうか。
無理に自分を変えたり、取り繕ったりする必要はありません
ご相談ありがとうございます。ご自身の内面と深く深く向き合う中で、これまで見たくなかったご自身の醜い部分に気づき、嫌悪感や罪悪感で大変苦しんでおられるのですね。
人は誰もが「良い人でありたい」と願うものです。しかし、あなたが仰る「押し付けがましい」「自分勝手」「嫉妬深い」「素直になれない」といったお気持ちは、あなただけが抱えている欠陥ではありません。それは私たち全ての人間が等しく持ち合わせている「煩悩(ぼんのう)」から生まれるものです。
私たち人間(凡夫)は弱い存在であり、この煩悩を自分の力だけで完全に断ち切ることはおおよそできません。多くの人は、自分のそうした醜い部分から目を背け、気づかないふりをして生きています。「中身を見ることからずーっと避けてきた」と仰いますが、立ち止まり、目を背けたくなるような「ありのままの自分」を誤魔化さずに直視できた今回の気づきは、実はとても尊く、貴重な体験なのです。
ですから、どうかご自身を激しく責めないでください。阿弥陀さまの救いの一番の目当ては、立派な善人ではなく、まさに「煩悩を抱え、どうにもならない私たち凡夫」なのです。
「嫌な自分を抱えて生きていくってどうすれば良いのでしょうか」という問いですが、まずはその「自分への嫌悪感」をそっと手放してみてください。無理に自分を変えたり、これ以上取り繕ったりする必要はありません。「優しい人になろう」と必死にかけてきたフィルターも、あなたなりの思いやりだったはずです。
煩悩を抱え、不完全なままのあなたが、そのまま尊いのです。過去の自分を否定しすぎず、どうぞ肩の力を抜いて、自然体で「今」を大切に生きていってくださいね。
拝
縁起寺 釋聴法
縁起
ご相談拝読しました。時間が出来たことでご自身と向き合い、気づきを深められたことは大変大事なことであると思います。
今は、その気づきが衝撃的であったからこそダメージが深いようですが、そこをごまかさずに生きていけるようになることで、あなたのこれからの歩みはより広く深いものになっていくように思います。
さて、あなたがこれまで繕ってきたあなたと、鎧を脱いだあなた、そのどちらかが本物のあなたで、どちらかが偽物のあなたであるわけではありません。
仏教では「縁起(えんぎ)」と言いますが、あらゆる存在は縁ーつまりは関係性ーによって起こり生じているのです。
どこかにゆるぎない固定的な本物のあなたがいて、そのあなたが様々な関係性を生きているのではありません。
ひとつひとつの関係性において、そのときのあなたが起こり生じているのです。
子どもとしてのあなた、友人としてのあなた、同僚としてのあなた・・・どれもがその時のあなたであり、優しく出来る時もあれば出来ないときもあります。
仏教的に言えば誰もが「凡夫(ぼんぶ)」です。真実を見極められないが故に自己中心的に振る舞い、衝動に流されていく迷いの深い存在が私たち。
その私やあなたが誰かとの関係性において自己中心性をおさえて優しく出来るって凄いことではないでしょうか。
わざわざ迷いをさらけだして自己中心的に振る舞う必要もないでしょう。あえてしなくたってそれが出てきてしまうときは多々有ります。
誰かとの関係性においてたとえ偽善であっても善き人であろうとすることは、あいてを大切にすることであり、あなた自身をも大切にすることであると思います。
もちろんそれに疲れてしまったのなら無理をする必要はありません。時には横暴に振る舞ったり我を通したくなるときもあるでしょう。でもそすることが本当のあなたとして生きることなのか、あなた自身を大切にすることなのか?と問うてみることです。
今の気づきでとどまらず実践を通して確かめてみても良いかもしれません。
それでも抱えきれない自分の闇というものも確かにあると思います。そこに気づいた人は信仰を求めるのではないでしょうか。それを確かに受け止めてくれる教えというものを。
仏様神様ご先祖様はあなたのありのままを受け止めて下さいます
拝読させて頂きました。
あなたの心の中の本心を読ませて頂きました。あなたがご自分のことをその様に思っていること、お悩みなさっていることとても伝わって参ります。お気持ち心よりお察しします。
あなたが自らの心や姿に向き合ってありのままの自分を吐露することはとても尊いことだと思います。そのように自分に向き合うことはなかなかできることではありません。とはいえ自分自身のことを知っていくことはとても大事なことです。
どうかここでもあなたの思いをおっしゃって下さい。あなたのことを心よりお待ちしています。或いはオンラインでもあなたの思いをお話しなさって下さい。
またあなたのその思いを心から仏様や神様やご先祖様に手を合わせてありのままに告白なさって下さい。自らの姿や今までのことやあなたの思いを思いつくままに仏様や神様やご先祖様にお伝えなさって下さいね。
仏様や神様やご先祖様はあなたの思い全てを優しくお受け止めなさって下さいます。あなたの心に寄り添い慰めて下さいます。
そして仏様や神様やご先祖様はあなたを善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたが作りものではなくあなたらしく生きていくことできるように仏様や神様やご先祖様はあなたをお導き下さいます。
あなたがこれからの未来を仏様や神様やご先祖様に導かれあなたらしく心から豊かに健やかに毎日を生きることできますように心より仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
自身をもう少し、多面的に見てあげて
みょうがさん、私もご相談承ります。
明るくも優しくも良い人でも、人に褒められるような人ではない。
今までの自分は優しくて人に寄り添えたと。
でもそれは鎧で、中身は、押し付けがましくて、自分勝手で、嫉妬深くて、素直に感謝や謝ることもできず、嫌な事があれば態度に出てしまい、被害者ヅラして可哀想自分で思い込んで、人と向き合うことから避けてしまうそんな人間だと気付きました
とあります。
時間が出来てじっくり自分と向かい合えたなら、気付きを貰えた過去の自分にまずは感謝したら如何でしょう。
過去の失敗があるから、今があります。
それから、作り物の優しさというのは、誰が決めますか?
貴方がどう思おうが、その優しさを差し上げた先にいる方がそれで癒されたなら、それも、真実。
貴方が腹の中でどう思おうが、偽善だろうが、優しくしようと、腰を上げた事事態を否定する事は、自分に失礼です。
本心とか、鎧とか、上書きといいますが、それで、弱い自分をカバーして、自分自身を助けていた守っていた場合もあります。
もう少し、多面的に自身を,観察してみては。
答えも一つではないし、時間、時期、関係性、様々な要因により、人は変化するもの。
貴方が、Aさんには悪人でも、Bさんには善人の場合だってある。
決めつけない事です。
それから、そこまで偽善がいやになったのであれば、
自分を傷つけた原因を探るべき。
何に逃げたかったのか。
何から自分が保身にまわったのか。
その先まで、深掘りすれば、何かまた、見えてきます。
自分を否定する事で、何かはあまり生まれない。
何もしていないのではなく、何かをした自分に対して非難しているから。
ましてや、第三者への行動として。
貴方は優しい人間なんだと、私は、思います。
質問者からのお礼
皆様、お忙しい中、勢いのまま綴ってしまった乱雑な文章に対して、ご丁寧にお返事をくださりありがとうございます。
皆様からのお言葉を読ませていただく中で、ふっと肩の力が抜けたような感覚になったのですが、一時的なもので、今は嫌悪感と罪悪感が湧いてきて、自分を認めるのはかなり時間がかかりそうです。
とても難しい課題ですがなんとか認められるようになれたらなと思っております。
ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )