「⚪︎⚪︎観」という単語が嫌いなのは変?回答受付中
私は最近、自分の人生をより良くしたい、と考えています。テレビ番組やネット動画や本をみてヒントを得ています。人の考えを知ることは興味深いのですが、何だかスッキリしません。知れば知るほど回答から遠ざかるような気がします。ノートに自分の考えや感情を書き出すこともありますが、本音ではないような気がします。特に気になるのは、「⚪︎⚪︎観」という単語。価値観、恋愛観、仕事観…。何でも「観」を付けたら、良いのでしょうか。世の中にはたくさんの人がいます。全ての人と親密になることはないし、時には別れもあると思います。でも、何でも「観」で理由を片付けることに拒絶反応があります。こんな私は面倒な人間でしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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ふにゃ 様
私は「面倒な方だ」とは感じませんでした。ご自身の人生を、人の言葉だけで片付けず、大切に考えていらっしゃるのだと感じました。
これまで、ご家族の言葉に萎縮したり、苦手なことにも無理をして取り組んだりしてこられたのですね。その中で「自分の人生を生きたい」と願う気持ちを、まず大切にしていただきたいと思います。衣食住が整っていても、自分で選ぶ自由が感じられなければ、心は苦しくなるものです。窮屈さを感じるご自身を、わがままだと責めなくてよいのです。
「価値観が違うから」という説明が、役立つこともあるでしょう。でも、その一言では収まりきらない気持ちや、分かってほしかった思いもありますね。あなたは、そうしたものを置き去りにしたくないのかもしれません。「観」は、物事を見る一つの窓くらいに考えてもよいのではないでしょうか。窓から見える景色だけで、その人のすべてが分かるわけではありません。便利な言葉も、しっくりこないときには使わなくてかまいません。
ノートに書いたことが本音か分からなくても、無理に正解を探さなくて大丈夫です。「こう思う気がする。でも、まだ分からない」。それも、今のあなたの率直な言葉です。しばらく情報から離れ、「今日は何が少し楽だったか」「何が嫌だったか」「本当はどうしてほしかったか」を、一つだけ書いてみませんか。立派な人生観になる必要はありません。小さな好みや違和感も、ご自身の暮らしを選ぶ手がかりになります。
仏教で大切にする慈しみ・優しさ・心の温かさを、答えの出ないご自身にも向けてください。「まだ分からなくても、急がさずにいよう」と。
経済的な自立への準備も、心地よい距離を探すことも、あなたの歩幅で進めてよいのです。誰かに納得してもらうためだけでなく、自分の力を信じてあなたが少し安心して息をつける人生でありますように。私は、その願いを大切に思います。
参考にしてください。一礼



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