こんな自分で
私は幼少期から子供を出産するまで周りの迷惑や優しさなどを考えず、嫌味ばかり言う人間でした。ですので友達もいません。
ですが子供ができ、周りに優しく片寄った考えから卒業できましたが子供と接すると同時に自分の幼少期のことなどを思い出し、子供も私が育てたら一緒になるんぢゃないのか?と思うと育て方がわかりません。我が子には友達もできてほしいし、優しい子に育ってほしいです。でもこんな誰からも必要とされなかった私がそんな子育てできるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お子さんと一緒に成長しましょう。
25歳ママさんはじめまして。ご相談拝見しました。
25歳ママさんはご自身のこれまでの生き方を反省しておいでです。その一歩が大事なのではないでしょうか。
「このままではいけない」「変わりたい」「どうにかしたい」
という心持ちが自己の内面に向かうことを発菩提心と呼ぶのだと思います。まことの生き方を求めているということです。
この一歩が踏み出せず、自分の外ばかりに苦しみの原因を求める道を外道と言います。しかしいくら外を変えてもまたいくらでも苦しみは生まれてきます。仏教は内観道です。自己を深く見つめる道です。
25歳ママさんはこれまで誰にも必要とされてこなかったとのことですが、すでに旦那様と出会っておられます。そして今はお子さんとの出会いのご縁もいただいているのです。
お二人は25歳ママさんを必要としております。
月並みな言葉ですが、親は子に育てられて親になると言います。誰でも最初からうまくはいきません。今、ご自身のこれまでのあり方を深く反省しておられる25歳ママさんなら、きっとお子さんと一緒に成長していけることと思います。お子さんにとって本当のお母さんは25歳ママさんお一人です。誰も変わりはいません。お子さんと一緒にやさしい人間に成長してみませんか?
くれぐれも一人で抱え込まず、旦那様にも頼ってくださいね。応援しております。
命の数だけ育て方がある
亀山純史と申します。
今は周囲に優しく、そして片寄った考えから卒業できているわけですから、心配することはありませんよ。そして、子育てには正解はありません。以前に、スクールカウンセラーの方から、おおよそ次のようなお話をお伺いしたことがありました。それは、昔、ある著名なカウンセラーが、持論の子育て論を説いており、大変人気を博していたそうです。そのうち、そのカウンセラーにも子どもが生まれ、自身の子育て論に沿って子どもを育てようとしました。しかし、自分の思うように子供が成長せず、そのうち、自分の子育て論を説くことをやめてしまった、という話です。そのお話をなさったスクールカウンセラーの方は、「子育てに絶対はない。」ということをおっしゃっていました。考えてみれば、巷には子育て論を説いた書籍が多く出版されています。それは絶対的な方法がないということでしょう。
ところで、お釈迦様は相手に応じて説法をしました。いわゆる、「対機説法」です。子育ても同じでしょう。同じ親から生まれた子どもであっても、それぞれが独立した命です。長男に対して成功したやり方が、次男に対してうまくいくとは限りません。また、その逆もあります。どの親も、試行錯誤の中での子育てだと思います。命の数だけ育て方があるといっても過言ではないでしょう。そういった中で大切なことは、あなた自身がよくお子さんのことを見てあげて、そして声をかけてあげることでしょう。これだけは、どのような子育てにおいても言えることだと思います。そして、その子に合ったやり方を見つけ出してあげられれば最高でしょう。
以上が私からの回答になります。どうか、お子さんを大切にし、子育てに励んでください。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。過去のことをいつも思い出してズーンと悩んでしまう日々でしたが、回答を読ませて頂いて気持ちがスッと楽になりました。子育ても焦らずゆっくり、子供と一緒に成長していきたいです。貴重なお時間ありがとうございました。
亀山様
回答ありがとうございました。
今悩んでも子育ての正解などはわからないっていう当たり前のことにやっと気付けました。
亀山様がおっしゃて下さったように
見失わないよう、よく見ていい関係を子供と作っていきたいです。
貴重なお時間ありがとうございました。
また機会があればよろしけお願いします。