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自分が何をしたいのかわかりません

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今年2月に離婚しました、37歳です。元主人との間には子供はおりませんでした。元主人は、長男でしたが、あまり子供や跡継ぎなどに関心がなかったので、私も子供が欲しかったものの、主人の意向を受け入れようとしていました。しかし、元義母や親戚の子作りへの圧力があり、元義母に私が不妊だの、いつまで居座るのかなど言われ、耐え切れず、元主人もあまり理解してくれず、11年の結婚生活に終止符を打ちました。

その後、実家へ戻り、パートとして再就職しましたが、不規則な生活で、このままでいいのかなと疑問を抱いてる中、この度、知人の紹介で、生命保険会社に正社員として働く事が決まりましたが、厳しい世界だと聞いていて、やっていけるのかすごく不安で、どうも事が進んでいく事と自分の気持ちが噛み合わず、一体自分が何をしたいのかわかりません。

離婚しても何も変わらず生活している元主人や、子供のいる友人をいると、妬ましく思ったり、離婚したのに結婚指輪をつけて外出したり、子供がいなかった以外素敵な主人だったので、私の我慢が足りなかったのかな…と離婚した事を後悔したり、自分の気持ちが不安定です。

離婚後、実家にいるのですが、両親が何かと首を突っ込んできたり、私の用事にもついてきたりするのも、正直煩わしく思えて、自分の時間が確保できなかったり、頭の中がグシャグシャです。

どうか、こんな私に指針となるお言葉を宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

復縁を申し出られては?

まず、私があなただったらこうします、をお話しします。
う…シンクロしました。
まず、ご主人に猛烈ラブコールを送ることです。
意地張って別れた相手でも、頭を下げてくれば何となく愛らしく感じてしまうものだ、とご主人が言っているような気が…します。
※シンクロしましたについては堀北真希主演「ヒガンバナ」をご覧いただけると若干笑えます。
そこらへんの男性心理を、突くことですね。
う…、シンクロしました。
「外出時も指輪をしていた」という夫を愛する気持ちをずっと持っていた美談などが刺さっちゃうカモ、とご主人が言っているような気がします。
別れてから他のオンナと浮気していたとしても赦すことです。
そんでもってサイコーンならぬ、離婚ーでもなく、RE婚ー。(どっちじゃい)あなたから婚姻届けだけ、復縁届けだかに、名前を書いておいてプロポーズするこってす。
復縁で来たら、それはそれでいいじゃないですか。
子ども問題は後で考えればよろしいアル。
子ども作る作らないは人間のルール。子供は授かれるようにできているのが我々人間の元々の性。
だから、ヒソヒソぶっちゃけ、既成事実優先で夜の営み時にですね、アレ※に針でプスッと(以下略)
そのくらいのしたたかさを持たなきゃあなたの夢はかないません。
こんなんでましたけど~♡
…シンクロ終わりました。(-ω-)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます。何だか、気持ちが楽になりました。今後に向け、もう一度考えてみようと思います。

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