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我慢して優しさと笑顔を貫く生き方は、生き下手でしょうか?

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お世話になります。

私は昔から、人に言い返したり、言い合いをするのが嫌いです。
その為、小学生の頃から何度もイヂメにあったりしてきました。
が、見る人は見てくれるもので、先生が背中を押してくれてイヂメを気にせず学校に通い続けたり、自分の学力に自信をつけ明るく生きてきました。

大人になってからも、イヂメの話をすると「あ~、イヂメられそうだよね」と笑われたり、上司から私にだけ言いたい放題言われたりして、人より苦労して社会人生活送っています。

彼氏とも喧嘩はしたくないので、何かあればこちらから謝る(彼氏からは謝らないので)、丁寧に気持ちを伝える、行動で示す…といった具合に、仲良く過ごしてきているうちに、段々と私に対して我儘になって色々要求が激しくなってきて(服装や髪型など)…周りからは、甘やかし過ぎと言われたりして、さすがに私もそう思う時もたまに…、我慢の範疇ではありますが。

優しい、賢い、穏やか、とは言われても、それを逆手にやはり、付け込まれて無礼な発言などされることもしばしばです。
「言い返せば良いのに」「甘く見られてるんだよ」と親しい人には言われても、どうせそういう人には言っても理解されないですし、相容れない人と価値観的な会話をするのも煩わしいので…。

相手のことを考えて言い返さないのではなく、もう諦めているから、言い争っても意味ないから、平穏に波風立たせずに生きたい、という感じなのですが…やはりみなの言う通り、言い返した方が良いのでしょうか?
こちらが傷ついている、その発言は無礼なのだと、相手に知らしめる必要性があるのでしょうか?

そう考えるだけで、なぜかとても面倒でストレスが溜まりそうで…だったら我慢してその場は笑顔で知らんぷりして、身近な人とお互い愚痴りあったりしている方が、自分的には楽なんですが…。

最近、精神的(上司との関係など)・物理的な仕事のストレスと疲れで倒れて以来、少し色々、考え直しているところです。
アドバイスお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手を思う気持ち

我慢はある意味、自分に正直になれていないこと。
人に言い返す必要はなくても、伝える事も大切。言葉にしなくては伝わりません。

彼氏が好きなら、相手の成長のために気持ちを話すことが必要です。我慢をしていては、お互いの成長はなく、堕落していきます。揉めることがあってもそれはそれ。相手を嫌な気分にさせない伝え方もあるはずです。言い返すのではないのです。

大切な相手ならなおさら、お話しすべきです。遠回しにせず、感情的でなく、素直に話す事で良好な人間関係が築けますよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

病気のせいで、精神的・体力的に自信がなくなり、殊更に自己犠牲的な考え方に陥ってしまっていた様です。まずは病気の治療に専念します、アドバイスありがとうございました。

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