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娘の嘘に困ってます

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小学生四年になってから、娘が頻繁に嘘をつくようになりました。それもすぐバレてしまうような嘘なら笑って済ませるのですが、娘の場合は、完璧なストーリーが頭の中で出来上がっていて、ちょっとやそってではわからない嘘です。

内容も、自己防衛をするような嘘だったり他者の人格を壊すようや内容ではないのですが、その悪びれもなく嘘をつく姿勢にこの子の将来が不安になります。

子供には嘘をつく事がどれだけ周りを傷つけるかなど、よく話し合いその都度反省し、次は安心して娘の話を聞ける…と思うのですが、暫くすると、また嘘話を聞かされます。

本当にショックを通り越して怒りさえ感じる時もあります。

私自身子供が嘘をつく原因を調べてなるべく取り除こうとしているのですが…
失敗しても直ぐに叱らない、正直に話した反省点は叱らず、話を聞くなど

でも、その嘘が発覚した時はいけないとはわかっているのですが感情が押さえられなくなってしまいます。

娘も10歳なのでまだ今からでも関係修復は出来ると思います。でも、肝心の娘の気持ちもわからなく、まず何から始めていけば良いのかわかりません。

因みに娘も多感な年頃で、学校での友達関係で色々と煩わし事があるらしくストレスは感じているようです。でも、極端に虐められてるわけでもないし、虐めている訳でもないので話を聞く程度にしています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

わかってはいるけれど、やってしまう

おとは様

こんにちは 真宗大谷派の釋理薫です。

小学校4年生の娘さんのつく嘘にお困りとのこと。
わたしの娘も同じようなころに、おなじように嘘で困ったことがあります。

だいだい1〜2年くらいでおさまったのですが、当時はイライラしたり怒ってしまったことも度々でした。

結局できたのは、「何のためについた嘘かを聞く」「嘘をつかれて悲しかったり、嫌な気持ちになったことを正直に伝える」「そのために信用を失い、とりもどすのが大変」と伝えることしかできませんでした。

嘘も高度な思考に必要な成長過程なのでしょうけれども、なかなか受け入れられないものです。

相手のはなしを聞き、こちらの気持ちを伝えることに尽きるのではないでしょうか。

お釈迦さまの戒めた「十善戒」のうち四つは口からでる言葉の戒律でした。
それだけ注意しなければならないほど、人はダメだとわかっていてもやってしまうのだと思います。

たとえ子どもでも嘘がいけないことはみんな知っています。
それでもつきたくなる嘘に、その子の大事にしていることが見えてくるのかもしれません。

ダメだとわかって、それでもなぜやってしまったのか。
ゆっくりお話ができればいいですね。

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有り難し
おきもち

真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動 ・正徳寺声明会(しょうみょうかい:お経の練習と法話)月一回開催 ・こども囲碁道場 月一回開催 講師:日本棋院 王唯任五段 ・こども すみえ おえかき道場 隔月開催 講師:墨絵画家 本多豊國 ・「対話する夜」 月一回 都内のいろいろなお寺で平日夜にお坊さんを交えて対話する会 この他に、寺社フェス「向源」のお手伝いなど

親が子供に悲しい嘘をつかせ始める

「こんにちは。リポーターの丹下です。今日は虚言癖のあるお子様にスタジオにお越し頂きました。さっそく、ご意見を伺いたいと思います。宜しくお願いします。嘘つくのどうしてですかー?」
①「ボクは知られたくないこと、隠しておきたい事がある。本当のことをいうとママすぐ不機嫌になったり叱ったりするでしょ。それがイヤだから本当は隠し事したくないけど、教えない。嘘でウソを隠しているだけだよ。」
②「アタシは自分を大きく立派に見せたいの。だってママ、アタシを抑え込むような言い方ばかりですもの。アタシだってこんな凄いことがあるんだって思わせたい。でも何もないから嘘くらいしかつけないのよ。親に尊重してもらい、褒められたがっているサインなの。」
③「アタシは自分に自信がないからウソをつくの。だってママ、何かするたびに否定、NGばっかり…自信なんて持てるわけないわ。ママは否定だけで私を大人しくさせてきたの。でもそれがアタシを傷つけてきたってこと分かっていないの。もっと穏やかな母親は世の中沢山いるわ。自分の非を謝ったり上手に叱ってくれればいいの。だから気を引こうとしたり、誤ってほしくて嘘つくのよ。何でかって?分からない?愛されたいからよ。愛してるですって?ママが?分かってないわね。そうやって親目線で同じ目線に立とうとしないんじゃ私の望んでいる愛ではないわ。」
④「私はプライドを求めようとしているの。だってママが与えてくれないんですもん。あたしはあたしでいることすらダメなの…だから、無理してイイ子ちゃんでいるの。だからウソはその反発。正当な嘘だってことわからない?だっていつも無理していい子ちゃんでいるのよ?だからウソが出てくるなんて当たりまえじゃない。」
「成程。でもどうして嘘をつくのですか。」
「これだけ言ってもあなたも質問者さんも、まだわからないのね。」
「なにがですか?」
「あなたは今もアタシたちそのままのアタシではなく、別の❝親の都合の良いアタシ❞や❝親の理想のアタシ❞にさせようと、嘘をつかせているの。<`~´> そういう姿勢が、今後もアタシに嘘をつかせていかせることになるってことによ!!」
「(´゚д゚`)!!」
「ウソよ、半分ジョーダン。ウソついているように見えても、その裏側にちゃんと真実の声があることを分かってもらいたいってコト。」
「なるほど…以上現場から、丹下でした。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早速のお返事ありがとうございました。

娘も今成長過程のなかで、色々な葛藤があるのだと思います。

大人の世界では正しい事ばかりが正義ではなく、まわりとうまくコミュニケーションをとりながらやらなければならないことも、子供の世界ではそうもいかなく、自分は正しい事を言っているのに反発されるなどうまくいかない事が多いみたいです。

これからは子供の話を最後まで聞き、そこから話し合えるようになるべく寛大な心で接していきたいと思います。

どこのご家庭のでも同じような経験をされるということで少し楽になりした。
本当にありがとうございました

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