きつい言い方
世の中にはどうして、きつい言い方、強い言い方、人を傷付ける言い方をする人がいるのでしょうか?
こちらがそれ相応に悪いことをしているならまだしも。
悲しくなります。
優しさだけでは生きられないのはわかっていますが、優しさだけでみなが生きていけたらどんなにいいか。そう思ってしまいます。
強さを持とうとおもうと、自分も攻撃的になってしまったり、頑固になってしまったり。
優しさだけ持とうと思うと、なぜか気弱になってしまったり。
バランスよく生きるには、どうしたらいいですか?また、攻撃的なものの言い方(わたしに対してでなく、他の人たちに対して。見聞きするのも嫌です)をする人に対しては、どういう気持ちを持っていたらいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
言葉は方便
言い方って、ほんま、あると思います。何であんないいかたするんやろ?言いかたってあるよな〜。等々、言い方は大事です。それだけで福が来たり逃げたりします。もちろん、商売人は客が来たり逃げたり、会社員は仕事の出番があったり、なかったりと。
やさしい言い方だけで過ごしのは、気が楽でいいと思います。また、やさしい言い方だけを聞くのもそうです。しかしながら、時にやさしい言い方だけでは拉致があかんことも多々有ります。そのときは、状況打開のために必要でしょう。それと、皆がやさしい言い方だけだったら、抑やさしい言い方自体がなくなります。濃い薄い、強い弱い、綺麗汚いがあるのがこの世の中です。
只、普段から、きつい言葉、強い言い方、人を傷つける言葉を連呼する人がいます。それは、仕方ないですよ。そういう言葉遣いが当たり前と思っているのと、自己防衛もあるのでしょう。
バランスよく生きるには、言葉の使いみちを知ることだと思います。必要なときに必要な言葉遣いとその表現が出来るように、ポリシーを持ってすることでしょう。これを書きながら私自身にも言い聞かせています。
言語を使って主な社会生活を形成している人間にとって、言葉の使い方、表現の仕方はある意味、処世術、我々の世界で言えば方便と考えます。
方便を身につけてください。また、相手の方便も読みとってください。それだけで動揺することは今よりましになると思います。
やさしさだけでは生きられないけど、やさしさを忘れないで!
りり-さん、過去問もざっと読ませていただきました。
小さなやさしさに中に、身を置きたいのがりりーさん。
ただ「きつい言葉、強い言い方、人を傷つける言葉を連呼」される場に苦しんでいるのでしょうか?
広島でのオバマ大統領の所感
「私たちの初期の祖先は、道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使った」
道具に限らず、様々な言語も地球上に存在します。そして同じ日本語でも、話し手と聞き手の想いがすれ違い、怒り・悲しみ・憎しみの感情が起こります。感情で争う事。それが人間、それが娑婆世界。
あれだけの名演説をしたオバマ大統領でも、装甲車のようなリムジンに乗り、核のボタンを常に携行する。理想と現実の難しさを表わしてます。
皆、りりーさんと同じように、疑心暗鬼の中で生きているのです。国家元首とて同じ!
ただ誰でも、やさしさ「利他」のこころは持っています。・・・いるハズです!
バランスよく生きるには、攻撃的なものの言い方をする人に対しては、(自己防衛しながらも)ほんの少しの、やさしさを持って接して下さい。
あなたが、他に対してやさしさを忘れなければ、まわりの言動の中のやさしさも感じることが、出来るとおもいます。行動で示さなくても感情だけで構いません。
今は難しいかもしれませんが、少しづつでも気負わず、生きてみましょう。
最後に、浄土真宗は
「煩悩を断ぜずして涅槃を得」(煩悩を断ち切ることもないまま 阿弥陀仏の願いと行の力によって わたしたちが涅槃に至るべき身とさせていただく)
という、み教えです。
興味を持っていただければ幸い(^人^;)
質問者からのお礼
お坊様
ひとつひとつの言葉が心に染みました。自己防衛のため。皆、疑心暗鬼の中に生きている・・・とても納得でき、また、安らげます。
ありがとうございます。
世の中とは、安定した場所ではなく、不安定な場所なのですよね。それで当たり前。そう思うと、自分の心に軸が生まれそうです。
そにためには、神仏に頼るような心構えもしたいとおもっております。まだまだ世の中にはわからないことがたくさんありますが、神仏に任せ、しっかり生きていきたいです。