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外国人を嫌ってしまう私

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都内の会社に勤めているものです。最近円安もあって多くの外国人を見かけます。電車などで外国人の方を見ると拒絶したい気持ちになってしまいます。

私はあまり海外には行ったことがないのですが、外国の映画を見たり外国に行くテレビ番組を見るのは好きです。日本とは違う文化を知るのも好きです。ですが日本で外国人の方をたくさん見かけるとどうしても日本が日本でなくなるような感覚になってしまうのです。

今私はアメリカのパソコンを使ってこの文章を書いていますし、私が今使っている文字も元は中国から来たものです。外国のものに助けられて生きているにもかかわらず外国の方を拒絶してしまう。こんな小さい心を持ってしまう私に何かお言葉をいただけないでしょうか。

2024年5月20日 21:58

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の広いお心の中には「わたし」「他人」という区別はない。

富士さん
お悩み拝見させていただきました。

都内や観光地では日々沢山の外国人観光客を見かけますよね。
富士さんは外国人の方を見ると拒絶したい気持ちになってしまうのですね。

少しだけその気持ちわかるような気がします。私も外国の方がいると少し緊張してしまいます。
英語が上手に話せないのもありますが、コミュニケーションが取れないと思い込んでるので無意識に排除しようとしているし、積極的に関わろうとしていません。

富士さんは、「嫌い」というお言葉を使われてましたが、
もしかしたら「不安」「恐れ」という感情が当てはまるのかな?と思いました。

人はお化けを怖いと思うのと一緒で、
「知らないもの、わからないもの」に不安を感じ、怖いと思ってしまいます。

もしかしたら、これまで外国の方との縁が無く、外国の方は富士さんにとっては「よくわからないもの」なのかもしれません。

ですので、外国の方が沢山で、日本がこれからどうなってしまうのか…不安や恐れがあるのかもしれませんね。

それを改善するために、まずはこちらから外国の方に興味を持ってみてはいかがでしょうか?良く相手のことを知り理解しよう意識するだけで、「よくわからないもの」ではなくなってくると思います。

それに、外国の方が沢山日本にお金を使ってくれることで、私たちの生活が保たれていると思うと、感謝の気持ちすら湧いてきませんか?

私はこれからの時代、過去あった「分離感」が無くなっていく時代になっていくと思っています。
人々の意識の中で、国境や人種、差別や比較など、少しづつ無くなっていき統合されていくような気がしているのです。

お釈迦さまは2500年も前にその意識でいらっしゃいました。
仏教では「自他不二」や「自他一如」という言葉があります。

自分と他人は一体であり、切り離すことはできない。
自分と他人は別々に存在しているわけではなく、本当は一つなのだ。
という意味になります。

全ての命は関わり合いながら皆つながっていて、単独で存在しているわけではない。
仏様の広いお心の中には「わたし」「他人」という区別はないのです。

なかなか生きていて、そう思うのは難しいことではありますが、少し心に留めておいてもらえると嬉しいです。

富士さんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。

2024年5月21日 0:10
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有り難し
おきもち

初めまして。プロフィールをご覧いただきありがとうございます。 ◆浄土...
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アイデンティティ

ご相談ありがとうございます。
視覚的に慣れない、異質な存在と感じれば、誰でもあなたのような感情が起こると思います。そうして拒絶してしまう心は、何も特異なことではないでしょう。
そう、もしかしたらただ「慣れていない」だけなのかもしれませんね。これから多国籍の人物と関わる時間が増えれば、今とは全く違った価値観と人生観が芽生えるやもしれません。例えば他国の方で好きな人ができた場合、それまでの感覚とは180°ひっくり返った反応をするかもしれません。
どんな時も、こうだと決めきってしまう必要はないし、できるだけ時間変化を楽しめば良いのではないかと思います。
野に咲く花が実をつけるまでに、日照時間や土の状態、水の成分や空気の流れ、微生物や栄養素の量と種類、遺伝子のはたらきや生育する環境に左右されるように、人間もまた一生の時間を様々な繋がりの中で各人が影響し合って生きています。
何年か先、あなたなりの「実」を熟成させたとき、それが何物にも代えがたい、そして他者がカテゴライズし得ない唯一無二のオリジナルであれば、今の違和感に対する答えも必ずその時同時に出てくるはずです。
他方、日本人による日本人のための日本という国が少々傾きかけている昨今の危うい情勢が気になります。これが将来どう変化するか、または打破できるのか、いささか難しいと感じます。
個人の力ではどうしようもない社会の大きな流れですから、私も素直に受け止めつつ、自分なりの未来を描いていこうと考えております。合掌。

2024年5月20日 23:07
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おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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ご質問拝見させて頂きました。少なからず私の中にも富士さんと同じような気持ち、考えはありますので分からなくはないです。以前から日本人が海外の人を外人として差別、区別するのは何故だということをテレビや雑誌などで特集することがあります。どれも結論はほぼ同じで、日本が島国であり、日本人だけがいる島という思いからはずれにくいからだそうです。これを聞いた時、確かにそうだなって思いました。中国や他国のように大陸続きなら他国の人が出入りするのが当たり前ということがあると思いますが、なかなかそうではない日本。日本人を見慣れた私たちが他国の人を受け入れにくいのは見た目が異なるからだと思われます。これからも日本は海外の人が増えると思います。慣れていくしかないこと、また言葉の壁がなくなってくればこの違和感もなくなっていくと思います。富士さんは別に他国の人を嫌っているわけではないのですから、今後も交流する機会があるかもしれない、そういうご縁があるかもと思われれば見方も変わってくるかと思います。参考になれば幸いです。

2024年5月21日 6:05
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おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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質問者からのお礼

丁寧なお返事ありがとうございました。とても励みになりました。今すぐに変わることはできませんが、少しづづ外国のことをニュースや本で学び知っていこうと思いました。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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