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何か良くないことが起こった時

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有り難し有り難し 26

悪いことが自分や他人の身に起こった時、それぞれの宗派ではそれをどうとらえますか?

僕は、犯罪や事故のニュースを見ると被害にあわれた方がどんなに辛かったか想像して悲しくなってしまいます。

また、悪いことが起こるのは前世から今までに悪いことをしたからだと言う人があったんですが、
これは仏教の教えとは違うものですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

前世の因縁は仏教思想ではありません。

 前世の因縁は皆さん言われておりますが、これはインドのバラモン教の思想でカースト制度の正当性を伝えるために用いられたもので仏教はそこから逃れるためにお釈迦様が唱えられた宗教であります。ですから、仏教の世界には実力や人徳、人間関係により形成されるものであり、そこには差別は皆無と言っていいほどないに等しいのです。ちょっと言い過ぎですが、目指すところはそこですので悪しからず。
 そこを踏まえて、事故や犯罪は様々な合理的な要因によって起されるものであり、決して、前世は関係ないのです。只人に恨みを買えば、仕返しをされることもありますが、もし自分が仕返しをする立場になっても思い留める力もまた、仏教なのです。念仏や坐禅もその気持ちを抑える1つの手段です。
 最近、家族が殺されて、犯人が捕まった時、必ず死刑にしろと訴える遺族がおります。気持ちは本当に分かりますが、自分が死刑のスイッチを押してもいいとなった時に本当に押せるでしょうか?
 言い放し、他人任せ、いざ自分がするとなるとひるんでしまう。ここにあなたは疑問を感じませんか?ワシはここが宗教者(僧侶)の力を試されていることだと思います。前世なんぞ見たことも無いものに惑わされているより、よっぽど考えるに値します。どうでしょうか?

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善し悪しを交えずに

科学的に観ても、出来事というものは出来事です。
そこに良し悪しは初めはついていない、という視点を持ってみましょう。
誰にとって良いことなのか悪いことなのか。
ひょっとしたら、その良いこと悪いことって、安易に悪いことと、不運としておられますが、それは善悪の価値判断を加えて観た世界ではないでしょうか。
勿論当事者にとっては、不運と言わざるを得ないような出来事は多々あります。
私も❝不運❞と思いたくなるようなことは沢山経験いたしましたが、現在に至っては、当時不運に思われたことであっても、自分を成長に導いてくれた経験です。
そこに良い悪いの評価、価値判断を付け加えない様に捉えるように心掛けています。
それが精神衛生上も一番苦しみがありません。
「出来事は出来事には変わりはない。だが、それが良いことか悪いことかは必ずしも判断を下すべき事ではない」というのが私個人の考えです。
良いことか、悪いことかというのは、自分を中心としたものの見方です。
これは悪いことだ、と思うと、本当にその出来事が悪いこととして自分の中で取り扱われてしまうのです。
質問者様の答えにはなっていない部分がありますが、あなたが心底救われたいと願われるのであれば、善悪、良し悪し、幸運不運という人間的なものの見方に縛られない生き方、仏道を学ばれることを強くお勧めします。そもそも、仏教とはそういう考え方から救われていくための教えでもあるからです。
不運にも災害や、事故に見舞われました方々には、心より哀悼の祈りを捧げます。
そして、共に善悪、苦楽の迷妄の思いを断ち切って共に安楽な心に目覚めるべく精進してまいりたいと思います。

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「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

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回答数回答 1

一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ