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亡くなった人が夢に出てこない

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亡くなった人が全くといっていいほど夢にでてきません。

その人の事は毎日思い出し、せめて夢の中で会いたい、夢に出てきてほしいと切実に願っているのですが全然でてきません。

お墓参りも行っているし、こんなに思っているのに夢にでてこないのはなにか意味があるのでしょうか?

もう忘れてほしいとか…。

私はどうすればいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人から忘れ去られたい人はいないと思います

夢が必ずしも死者のメッセージであるとは限りません。
むしろ自分の思いや生活の経験、潜在意識の現れという事の方が多いのではないでしょうか?
もしかすると、あなたが亡くなった人に会いたいという強い思いがかえってあなたの心に作用して夢に見る事から遠ざけている可能性もあるのかもしれません。

でも、毎日毎日夢に亡くなった方が出て来て…という方がよほど心配に思えます。

あなたはその方を忘れる必要はないと思います。

その方との思い出を大事になさって下さい。

そして何よりもあなたの日々の生活を大事になさって下さいね。
そうしているうちに、夢に見るかもしれませんよ。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

夢を見る方法、あります。

お釈迦様の教えに「一切皆苦」という真理があります。
この教えは単に「この世は苦しみだ」ということではありません。
物事を自分の思い通りにしようとしたり、都合よくいかせようとか、ワタクシしちゃ、ダメよ~ダメダメ、という教えなのです。
つまり、イコール、それをしなければ幸せになれるよ、という含みを持っているのです。
この世が思い通りにならない、という当たり前ながら、心底気づいていない大真理に目覚めると共に、思い通りにしようとしている事が苦しみを生み出してしまうのか!というメカニズムに目覚めて、それを止めればいいのか、そうすれば人間は救われるんだ!という深い意味を持った仏教の偉大なスローガンなのです。
結論:あなたは今、自分の思い通りにならないことを自分の思い通りにしようとしているから、苦しみが抜けない。だから、その自分のエネルギーを控える、抑える事によって、世界が開かれます。
自分の思い通りにならないことって沢山ありますね。
これをきっかけにお釈迦様の教えに耳を傾けてみましょう。
まず、自分の呼吸ですら、自分の思い通りにならないということ。
心臓の動きも、脈拍も、自分の思い通りにならないということ。
起こった出来事を無かったことにできませんし、人からどう思われているかを変える事もできません。
ですが、この思い通りにならないということを、深く知る事によって視点が変わり、明るく前向きに生きる事もできるのです。
観たい夢ですら、観ることができない。
私も観たい夢が見られるくらいならお金を出してでも買うと思いますが、いまだにそんな薬も出来ていません。科学者でさえ、薬剤師でさえ、思い通りにはできません。
さて、思い通りにならないからこそ、大事なのです。
思い通りにならないということこそが、この世という大きな川の流れなのです。
「あ、そうか」といつか気が付く日が来ます。
自分の思いや願いもワタクシしないでお過ごししてみてください。
いつかちゃんと正覚、悟りという、正夢、真実の夢を得る事ができましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。そうですね。その方のことは忘れずに一緒に過ごした思い出を大切にして、私自身が一生懸命毎日を過ごしてちゃんと生きていくことが大切ですね。その方もそれを望んでいると思いますし、何よりの供養になると信じています。ありがとうございました。

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