流産後の悲しみがいえません
結婚14年目です。子供が授からなかったので、一年前ほど前から不妊治療をして、子供を授かりました。
ただ9週目にお腹の赤ちゃんの心臓が止まりました。体の負担を考えて自然流産を選択して、2週間少し前に自然流産しました。
私はクリスチャンですので、神父様に追悼ミサをしていただいてミサの途中、大泣きして、これで区切りがつくと思っていたのですが、全然悲しみがいえません。
流産後の出血もあるなかで、医師は年齢も高齢ですので、時間がないので不妊治療を再開したほうがいいと言われてすぐに不妊治療に入りましたた。
こんなにすぐに次の子供のことを考えて、不妊治療している事に、罪悪感があります。
悲しみが癒えるように、乗り越えていけるよう
良きアドバスお願いします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教もキリスト教も衆生を救おうと願う事は同じなんです。
欲しくなくてもでき、欲しくともできない!この世の迷い悩みのは常に色んな形で私たちを襲う。全ての苦しみ(仏教での苦は迷い悩む事)は現実と思いの違いから生まれます。
この世に生きる私たちにはこれまでに関わった命があります。それは始まりは想像もつかない遥か昔の人類からなり現在に至っています。
私たちの命は数限りない色んな人の色んな命見えない命のお陰で今の命があるのです!
今回の貴女のお子さんの様に消えてしまった悲しい命!しかし今まで悲しい命がどの位あったでしょう。またこれからどの位あることでしょう。
この世の命はこれまでの人類の長さの中では露よりももろいものですが、しかし例え短くとも尊く有り難いもので変える事の出来ない命であり何かを伝えいるのです。
貴女のお子さんは今回は悲しく無念なことにありましたがしかし少しだったけど喜びを残して同時に悲しみを残してくれた事は貴女への教えなのです!
しっかりその教えを受け止める事がお子さんの心を生かすことです悲しんでばかりでは死んだ意味が無くなりこの世には出る事が出来なかったけど確実に命は芽生えた現実があるのです。
次がどうなりかわかりませんが前を向く事がお子様の教えであり供養でもあるのです!
仏教もキリスト教も衆生(この世の皆)を救おうと願う事は同じなんです。
今の苦しみの先には必ず幸せが見えてきます。
質問者からのお礼
ありがとうございました。あかちゃん、今は幸せに過ごしていると思いますので、少しずつ前を向いていきたいと思います