人を許せない
人がしたこと・いったことを許せません。
根に持ってしまいがちです。
自分は傷つきやすい性格で、
相手が悪気無く言った行動でも自分の中で引っかかると繰り返しそのことについて自分の中で考えてしまいます。
結果、その相手を自分の中で遠ざけてしまいます。
私は心が狭いのでしょうか。
嫉妬心・執着心は強い方だと感じていますので、そこが根に持ちやすい自分をつくっているのかもしれません。
人を許せない状態に陥った時にはどのようにするのが自分のために良いのでしょうか。
ご意見頂けたらと思います。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「許せよ」という願い
orange様はじめまして、ご相談拝見しました。
「人を許せない状態に陥った時にはどのようにするのが自分のために良いのでしょうか。」
ということですが、自分中心のままでは救われません。嫉妬心・執着心の強さに気が付きながらもこの期に及んでまだ「自分のために」とおっしゃる。
どうすることが、「自分にとっても相手にとっても良いか」と考えられませんか?
それは許すことでしょう。
お釈迦さまもこうおっしゃります。
「憎しみに激怒で立ち向かうなら戦いも争いも終わらない 許すことがすべての憤りと妬みを終結し あなたを永遠の至福に導くーダンマパダ 5」
本当はorange様も許したいと思っているのではないですか?
許したいという願いが起これば人はその願いに身を委ねられます。そしてその願いが自分で起こしたものではなく、自らに先立って願いをかけてくれている存在があるとしたらどうでしょう?
「許せよ」
と仏様から願われているのが私たちではないでしょうか?
仏教など信じられなければただの物語です。しかしその物語に私たちの生きている現実が言い当てられるとしたら、物語は単なる物語でなく真実となります。
許せないのはみんなおんなじです。orange様と同じ悩みではるか昔から人は苦しんできたのです。
しかしその許せない心(執着心・嫉妬心など)から立ち上がり、このままではいけないと目覚めた方がお釈迦様です。そしてさらにはその目覚めを自分だけのものとせず、私たちにも目覚めよと願いをかけてくださっています。
その大いなる願いが今、orange様にもかけられているのです。
どうでしょう、許せませんか?
でも正直、どうしても許せないこともありますよね?
しかし仏様はそんな許せない私たちですら許してくださいます。
その時私たちは恥ずかしい、申し訳ないと懺悔し、そんな私にも願いをかけてくださる仏様は有り難いと感謝するのです。
もちろんorange様ももれなくその一人として願われているのですよ。
質問者からのお礼
吉武文法さん
回答有難うございました。
ハッキリといって頂いてありがたいです。
>この期に及んでまだ「自分のために」とおっしゃる
このご指摘にハッとしました。
自分中心の考えを改めることと、許すことに心を傾けたいと思います。
ご意見有難うございました。