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個人の事情による自分勝手な苛立ち

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有り難し有り難し 4

大学生二年生です。時折、タイミングが悪くて貧乏くじ?を引いてしまうことって人生多々あるかと思います。こういう場合の多くは、誰も悪気もないし、非も責任があるわけではないです。

私所属している音楽系サークルでは今二つの行事企画が同時進行しています。
私はバイトとの両立のため片方(打ち上げ旅行)のみに参加している状態です。
今現在外国語検定も控え、息抜きにその行事の日も楽しみでした。

二つとも掛け持ちした数名のメンバーの要望で日にちが、私のシフトが入ってきる日に早まりました。シフト確定とのタイミングが悪かったにしかすぎないのですが、結果的に誰も悪くないのにの苛立ちを覚えてしまいます。

向こうに悪気がなく、純粋に二つを楽しみたいことは確か。しかし掛け持ちのバイト未経験者の軽い気持ちで、一ヶ月程の余裕(バイトの休み希望の提出)も作らないでおいて配慮が足りない。どちらかを優先できていないのか。こっちはスケジュールに余裕がないのに...といった私だけの事情による自己中心的な思いで、当てのない苛立ちや怒りを何故か持ってしまっています。正直嫌な感情です。

「皆を考えると仕方が無い」という思いと私情による苛立ちで思考が二面化しています。この二面性の向き合い方や解消法がわからないでいます。
長文になりましたが、どうかお教えお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何事も修行です。

部員には部員の都合があり、あなたにはあなたの都合がある。
バイト先にはバイト先の都合があり、他にも様々な所で様々な都合があります。
そうするとピッタリ条件が合うことは難しいですね。
いつ行くにしても誰かが参加できないでしょう。

欲しいとか、行きたいとか思うこと、つまり自分の思い通りにしたいと思うことを貪り(むさぼり)といいます。
思い通りにいかない時に生まれるのが怒りです。
仏教(お釈迦様の教え)としては貪りと怒りを捨てなければなりません。
貪りと怒りは心を病にする毒なのです。
貪りと怒りを捨てることは仏道修行の中でも重要な修行です。

どうか貪りと怒りを捨てて、笑顔で部員達を見送ってください。
自分の感情を冷静に分析できるあなたならできると思います。

ただし、もし部員の為にも同行してあげたいという思いがあるなら、それは貪りではありません。部員への気遣い、優しさです。
バイト先に事情を話しシフトを変えてもらいましょう。
バイトは奴隷ではありません。
大人の勝手な都合に学生は利用されがちですが、呑み込まれないように毅然とした態度で臨んで下さいね。
それもまた修行なのです。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

ご丁寧に回答して頂いたのにお礼を言えないままでしてすみませんた。

本当の笑顔で迎えられたかは分かりませんが、サークル仲間がどれだけその企画を楽しみにしていたか努力していたかを想像すると胸が楽になりました。同時に自分が相手だった場合の気持を考える、そんな想像力が欠如していることを痛感しました。

人は簡単に変われないとは言われたもので、今回の一件だけで簡単には貪り自体を克服できるわけではありません。しかし今回相談して見え隠れした自分の欠如を認めることができました。本当にありがとうございます。

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