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自分を優先すべきか、家族を優先すべきか?

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統合失調症を発病してから今年で12年が経とうとしています。
その内の4年間はほぼ寝たきり状態で、昼夜も逆転し、無為な時期を過ごしていましたが、その後はできることも徐々にですが増えていき、現在では身の回りのことや家事などもできるようになりました。

3年前から祖母の介護が始まったのですが、私もまだちゃんと仕事に就くまでには体調が安定しておらず、現在まで家事・介護手伝い、週2回の作業所通いに日々明け暮れています。

実は、本心では家事・介護手伝いは母に任せて、これからは自分の将来の為に作業所に通う回数を増やしたり、もしくは就職の為の勉強に集中したりしたいのですが、老々介護の様子を見ていると私が手伝わなかったら共倒れになってしまうのではないかと見離すことができません。

こうやって、日々将来への不安と家族への想いとで頭の中がグルグルしている状態です。昨日は体調不良の為、家事がおろそかになってしまったのですが、私が「今日は早めに休ませてもらうね」と言うと、母から「毎度のことじゃない」と言われてものすごく落ち込みました。どんなに母の為にと思って私なりに家事・介護を手伝っても、母にとって私は大した役に立っていないのだなと思いました。

どうすればいいのか本当にわからなくなってしまいました。説明もうまくできていなくてちゃんとお伝えできているかわかりませんが、よろしければアドバイスをいただけますでしょうか?よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が選択している部分がある

「変わりたいと思っています」と言っても、変えないということは、自分がそっちを選択している姿なのです。
「私は〇〇だから」と、きめてかかっちゃいませんか?
本当に、本当に変わろうとしていますか?
「ええ、変わりたいと思っていますが出来ないのです」と言われるにせよ、よく見破って頂きたいのですが、それは「できない」ということを❝採用❞している姿でもあるのです。
それを理由にいつまでも病の理由に「したい」のかもしれません。
それを選択、採用しているのです。人間は安易な方、安全地帯、居心地の良い方を選択してしまう生き物です。簡単な方を。
厳しく言えば、貴女は逃げている。
やさしく申し上げれば正当な理由を作って、そちらを選択、採用なさっているのです。
「ふざけるな、アンタに何が分かるのか!」と思って怒りの炎を燃やして頂きたいと思います。
それを理由にしてでも、自分の負の過去、甘えを断ち切ってみてください。病気の部分は確かにあるでしょう。
でも、甘えの部分や自分の選択してきた部分が必ず!あるはずです。
そこに向き合えればあなたは変われます。
母に責められて傷つくことを選択していたんだと思ってみてください。
小ばかにされる事よりも、病気を理由に、安全地帯に居たい、とあなたが選択している部分があるはずです。人間の深層心理を深く見つめていきますと、そういう面があるのです。
そのだましだましする自分騙しを自分でバッサリやめて、ヘビが皮を脱皮するように新しい自分を今からふるい起こしてください。厳しいようですが。
12年その道を選択してきたあなた。甘やかしの言葉に何の力がありましょうか。
母から毒づかれて本当に辛かった、悲しかったと思います。
ですが、お母さんに痛い所を突かれて悩んでいる貴女を慰める事に何の意義があるでしょうか。
あなたが本当に変わりたいのであれば、あなたがあなた自身の安易な所に居続けようとしている、してきたこと、今後も習慣的にそうしていこうと選択している微細な心を見破り、そこを絶対に選択してなるものか!と「そこにとどまらない」という選択をする必要があります。厳しい事申し上げて申し訳ありません。最終的に自分の脳を動かせるのはあなたしかいません。
がんばらなくていいです。
ますは、暗い方に行かない。落ちない、凹まない、という選択スイッチをONしていきましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

家族のこと、気になっちゃいますよね。

こんにちは。

家族のことが気になってしまうんですね。
よしこ様の家族を思う気持ちは文面から伝わりました。

ですが、老々介護のお母さまがよしこ様の思いに気付くだけの余裕が持てないだけなのかもしれません。

作業所の職員さんや相談員さんなら、同じ立場のときどうするか聞いたことはありますでしょうか。
家族以外の第3者の意見を参考にできる可能性もありますよ。

私としてはよしこ様の健康と生活リズムの安定を大事にしていただきたいと思います。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

質問者からのお礼

泰庵 (釋 一法) 様

ご回答ありがとうございました。
介護の件を作業所の職員さんにお話ししたことはあります。
そのときは、私が介護の手伝いをすることに疑問を持っておられました。
近々職員さんに面談のお時間を作っていただき、改めて介護の件と自分の今後のことを相談したいと思います。
母の何気ない言葉に落ち込んでおりましたが、少し気持ちが落ち着きました。
ありがとうございます。

丹下 覚元 様

ご回答ありがとうございました。
厳しいお言葉に正直読んでいて苦しかったですが、自分が甘えて逃げたくなったときには何度でも読み返したいと思いました。
丹下様のお言葉を胸に強く歩んで行こうと思います。
ありがとうございました。

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