最終面接に落ちて人生の目標を失いそうです。
長文になりすみません。
先日最終面接に落ちました。もう自分は今年度、論語で言うところの而立を迎えます。而立を迎える年なのに未だにフリーターです。情けないです。
私は死ぬべきなのでしょうか。この死は身体的な意味だけではなく精神的な事も含まれます。自分は死にたいではなく、死ぬべきだと自覚しております。
自分には尊敬する師がいます。高校時代の先生になり私の立場は元教え子にあたります。私の夢は師の弟子になることです。
私が勝手に尊敬しているだけで、先生は自分のことを忘れているかもしれません。
自分は浪人しており師は私の目標を応援してくれました。その目標とする大学に合格したら弟子入り志願をする予定でした、が、第一志望の大学に落ち、師を裏切りました。
が、弟子入りの夢が諦められず、私が卒業した大学からは無謀ですが、己が目標とする企業に受かったら師に正式に弟子入りをしようと考えました。
大学時代から数えると7年、卒業後からは5年就活(転職活動?)を続けてきました。ですが未だ目標とする企業(業界)の内定を得ることができません。
さて本題の死ぬべきの意味に戻ります。自分にとって夢を諦めることは己の魂の死を意味します。私は自分の事を死ぬべきだと考えているだけで死にたいとは考えてないです。できることなら足掻きたいです。
やっと巡り会えた企業の最終面接に落ちた今、私の夢はさらに遠ざかりました。
世間では私の年齢はもう華々しく社会で活躍する年代です。かたや自分は何百社の企業からお前はいらないと言われ続けた落ちこぼれの人間です。
こんな情けない姿を師に見られたくはないです。かといって、目標とする業界や会社を変えたくはないのです。
自分は先生から妥協しないことの大切さを学びました。できることなら己が立てた目標は変えず、師からの教えを守りたいという意志があります。
ですが、その目標とする業界企業から内定を得ることができません。過去に一度、非正規でその目標とする業界の会社から内定を得たのですが、親から反対され辞退しました。(土下座をし懇願したのですが、親は認めませんでした)
故にアルバイト(準契約社員)からその業界の企業を目指すという手段も絶たれています。
今,志望業界を変えれば、まだ正社員として働くことは間に合うかもしれません。が諦めたくないのです。自分は今後どう生きていくべきでしょうか?
有り難し 37
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