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早く仕事に就きたい

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先日もこちらで相談させて頂きましてどうもありがとうございました。離婚の準備を着々と進めておりますが、今までは、パートで働いておりましたが、これからは、もっと固定の給料が必要になってくるのでパートを先月末で辞めて、今新しい仕事探し奮闘中です。毎日の様に、色々な派遣会社に行き登録。ハローワークにも通ってます。ただ、フルタイムとなると子供の事も、気がかりですし、土日祝は子供が学校休みだから仕事休みの所でないと。。とか、勤務地も車がないので遠いところは通えない、電車や最寄りのバス停降りてから徒歩で通える会社、子供が何かあった時、体調不良の場合は少し融通のきく会社、など色々と考えて考えて探しておりましたら、中々見当たりません。。結婚する前にもう少し、資格やスキルを身に着けて手に職をつけておけば良かった。。と、今更ながら思ってしまいます。今までパートの時は直ぐに職が決まっていたけど派遣や正社員、契約社員になると時間も長く中々条件も資格など必要だったりで、かなりかなり厳しくて疲れてしまいました。。
実家の両親は、精神的にも経済的にもサポートしてくれていつも助けてもらっています。
でも、いつまでも親に甘えてばかりなのはだめ。自分の力で絶対に頑張っていく!と言う思いが強いので何が何でも頑張って自分で生計をたてていけるように頑張りたいです!パートばかりしてきたお前に世の中そんな甘くない!と、主人に言われ、そうだよね。。と落ち込むと同時に妙に納得してしまってる自分もいます。。早く仕事が決まってほしい焦りと、仕事探しに疲れてしまった自分がいます。仕事も今までしてきた経験のある職種にばかりこだわってしまっています。仕事が決まらない焦りが日々募っていきます。寝ても覚めても、仕事早く決まってほしい。。と祈る様な気持ちです。このやり場のない気持ちにモヤモヤしたりイライラしたりの状態が続いています。社会は厳しいと改めて実感しました。子供もまだ小さい内は、頼める身内の人がいないとなると、フルタイムの仕事と育児の両立できるのか不安もあります。諦めずに仕事を探し続ければ、ご縁のある職場といつか巡りあえるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もっと自由に生きてもっと楽しく生きる

お子さんがおられる中でもあなたを必要としてくださる優しい方はいます。
暴力やハラスメント、いじめ、暗い世界には身を処さないことです。
島根県は母子家庭に優遇してくださる県であるということを参禅会にいらしてくださる方がお話しておられました。
お子さんがいる中大変でしょうが、助けてくださる人は必ずいます。
あなたとお子さんはもっと楽しく生きていいのです。
そんないびりやいじめをしてくる人間と居るだけ苦しいだけですから、上手に距離をとるか離れることです。

https://www.google.co.jp/search?q=母子家庭に優しい都道府県&oq=母子家庭にやs&aqs=chrome.2.69i57j0l5.6645j0j8&sourceid=chrome&ie=UTF-8

あなたの持っている力が必要とされる地がこの世には必ずあります。
そこに到達するまではあきらめないでください。
困った時はいつでもお電話どうぞ。

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有り難し
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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お忙しい中、ご回答どうもありがとうございます。島根県は母子家庭優遇してくださるご地域なのですね。色々と調べてみようと思います。あなたと、お子さんはもっと楽しく生きていいのです。のお言葉に心の底から救われました。やはり、いびりや、キツイ言葉を言う人とは、無理して我慢ばかりせずに上手に離れるか距離をとることが1番の幸せだと改めて思いました。日々悩んで葛藤していましたが、前を向いて諦めずに職探し、そして、子供と私が幸せにもっと楽しく自由にイキイキと生活できる様に頑張っていく勇気、元気が湧いてきました!心の重たい鉛がス〜っと解き放たれた様に心が軽くなりました。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

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