裏切り喪失、謝罪なき人間を許すということ
この世は常に他者との関わりの中にあり、悩みの多くは人間関係が何かしら関わり苦しみを生みだすように思います。
他者との関わりによって自分の人生を大きく侵害されることが大なり小なりあります。
今回一度に多くの物を失いました。初めは相当に他者を怒り、憎み、恨みました。しかしその対象は私からすぐ逃れ、あてどころのない感情は次第に世の出来事は、自因自果であるという自責の方向に向かい、自分と自分で向き合う他ありませんでした。自らを毎日責めるしかない、それは更に自らを苦しめる行為となり過去に縛り付けられ、脳に深く刻まれ自分の生きてる価値さえ感じぬ程身も心も衰弱しました。一方で、侵害した側は責められぬことを都合良く謝罪なく変わらぬ今をそして未来を歩いていきます。
相手からの謝罪を求めることは欲望であり、
喪失したものは謝罪では戻らないことも理解しています。しかし、身動きがとれないのです。
悲しく耐え難い苦しみの日々、消えることでしか解放されることが見えません。人のため人の助けとなる仕事をし、真面目に生きてきました、自死を望むことすら許されないのでしょうか。自死をすることで、私を喪失し遺されたものの悲しみをと言うなれば、それは遺された者の欲望であり、自死を選ぶその人の苦楽を本当に思うのであれば、もう苦しまなくて良かったねとなるものではないでしょうか。耐え難い苦しみ、消えてしまいたいです。
有り難し 21
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