生きるのがしんどい
死にたいでもなく、生きづらいでもなく、生きるのが、これからも生が続くのがしんどい、という感じです。
安楽死やそのような検索ばかりしてしまいます。
以前にも相談した失恋(でもないのですが通常の形に実ってはいないです)きっかけで、どうしてもその人、、、を好きだという感情に固執?してしまいます。
恋だのなんだのと言うには年取ってますが、フルタイムの仕事もあり趣味もある、友達も家族もいます。不遇な方の不幸には、人並みには心が痛むし自分について安堵もします。
占いから瞑想、カウンセリングやスピリチュアルな施術まで、出来ることは試しました。
それなりに面白かったですが、もともと自分を見つめているタイプでもあり、ハマれず救われません。基本的にみな言う事は同じですし、自分も頭では分かっている理屈でしかないですよね。
年齢を考えると(一般的に)恋愛の気持ちを抑えて人としての線を狙う、とか
イタいおばちゃんは嫌だと考えて恋心は諦める、とか
婚活でもする、他の人とデートしてみる、とか
他の事に集中する、とか趣味を見つけるとか、、、全部試しました。
心理学の勉強もしましたし、もともと打ち込める趣味もあります。若い時はそれなりに経験していますので、彼しかいない!みたいなことはないとも、知っています。
本当に自分の「その特定の男性と心を通じ合わせて恋人としてお付き合いする、が叶わない」というこだわりしか残ってないのです。
でもそのひとつで、本当に今までの人生もこれからの希望も、今生きる意味も、ないのです。
今までも、自分から別れることはあっても、好きになった人を嫌いになることがありませんでした。私の好きは関係性によるものは大きくなく、その人そのものが好きなので、逆に脈がなくても、交際中にフラれても、通常の結婚等を考えて次のために諦めることはあっても、今でも彼らは好きです。
そしてこの年になって、通常の思い描いた結婚や世間体を気にする必要がないからこそ、かえってその「好き」が揺らがなくなってしまいました。
その特定の、私が好きだと感じる魅力的な人から、自分がそう思われないのが、もうそれだけがツラいのです。それだけなのに本当にしんどいのです。
皆さんはどうやって生きているのでしょうか?思いつめない人が本当に羨ましいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まだ生きていけるかどうか、それは誰にもわからない
いろいろ勉強して知識はあっても救われない。そりゃそうです。
料理のレシピをいくら勉強しても、料理は作らなきゃできないし、食べなきゃ味はしません。
坐禅は瞑想とちがいます。実践と実感が重要で知識は要りません。
想いや願いを捨てることです。
生きるといっても、生きているのは今ここ。未来は生きていません。これから先、生きていける保証もないのです。ですから、先を考え不安になるのは当然で、誰にもわからないことですからね。
そこに意識を向ける必要はないのです。
リアル、事実は今ここ以外ない。だからこそ事実に生きるのです。
豊かなご縁の中で
拝読させて頂きました。
あなたのその思いや感情はとても伝わって参りますね、どうしても執着してしまうその思いわかる様に感じます。あなたのその思い心よりお察しします。
おっしゃる通りその思いを手放すことはなかなか難しいですよね、口で言うのはた易いことですけれど、実際にはなかなかそう簡単なことではありません、あなたがそうお悩みなさるのも無理からぬことですよね。
私達はその様に様々なことへの思いを持って生きているのです。どんな人にも様々なこだわりもありますし、愛情や感情もあるでしょうし、依存することもあるものです。ただそれが報われないと感じたりなかなか思う様にならないことで辛くなってしまいますし、苦しみが重なっていくものです。
ですからこだわり過ぎてしまったり依存し過ぎてしまうことを少し落ち着いて見つめてみることもとても大切なことかと思います。そしてその根源にあるのは何であるかを知っていくことから少しずつ自分を苦しめることから距離を取っていくこともできるのではないかと思います。無理にこうしなければならない、ああしなければいけない、こう考えなければならないとは思わずにゆっくりと見つめていけば宜しいのではないかと思います。そんな中でも迷いはあるでしょうし感情の波が寄せては引いていく様に起伏はあるでしょう。その様な時には流れに逆らわずに任せてもいいかと思います。
或いはその様な出会いやご縁があることを毎日を楽しく感じることを心から感謝なさっても宜しいかと思います。
私達は様々なご縁の中で生きて生かされているのですからね。
あなたがこれからの未来も本当に素晴らしい出会いやご縁に恵まれながら心から感謝なさり、毎日を心からおおらかに豊かに生きていかれます様に、大切な方々と一緒に心から幸せを分かち合い生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
回答を頂けることだけでも有難いのは十分分かっているのですが、やはり足るを知る、感謝、となるのですね…
本文にも書きましたが哲学的なものは試して、皆さんがそれぞれ仰っている意味は理解していると思います。また普段からご縁や生への感謝はありますし、それを具現化出来ているほうだと思います。
でもその一点ですべての心がすさむのです。生きていたくない、しか出てこない、、、解決策などないと薄々感じながらこうやってお坊さんに突っかかる(笑)自分もしんどいです、、、
ご返信ありがとうございます。
座禅は瞑想と違うというのは初めての視点でした。
想いや願いを捨てる…それがなくて今日一日だけでも生きる意味があるのでしょうか…明日がないなら、他責で死ねるなら逆に楽なのでは…?かといって具体的にわざわざ死ぬ経緯も手続きも思いつかない…