本当に目の前の事を頑張れば希望は見出せるのでしょうか?
以前、二択のどちらの道を選ぶか、何回か相談させていただきました。
具体的には仕事でピアノ調律をするかしないかの二択です。
ここで色々なアドバイスをいただいた結果、取り合えずやってみるという選択肢を選び何ヶ月か経過したのですが、他の仕事、家のことなどで、とてもじゃないけどそこまで手が及ばないのが現実でした。
もし「何が何でもなりたい」という昔のような意欲があれば他を犠牲にして勉強ているでしょうが、前にも言いましたが、調律師になれば個人的にどうしても肌が合わない住んでいる土地の人々と密接に関わらなければならなくなることを考えると、やはり苦痛で仕方ありません。
今でも、「いやいやそんなことよりも技術を持っていれば他県に引っ越してそこで食べていける可能性があるんだから、もう二度とないこのチャンスに頑張れよ自分!」とも思います。
たぶん身の回りの誰かに相談してもそう言われると思うし、合理的な答えだと思います。
でもいくら理に叶っているとしても、今現在を犠牲にしてとことん勉強する、という意欲は数ヶ月経っても沸かないまま。
自分は根っから無気力人間になってしまったのでしょうか…。
この土地をとにかく離れて新しい生活を始めたい。
という願望だけはハッキリしていても、じゃあどうやってこれから生きていくのか?自分は何がしたいのか?この年齢になって先がどんどん見えなくなっています。
周囲の人は音楽関係の職場で、担当楽器の先生になるという夢に向かって輝いている人ばかり。
私はそんな人々を見ながら、大手楽器メーカー公認の先生でないと腕を認められない窮屈な世界に違和感を感じたり、どこに行っても知り合いだらけで外部の新しいものを寄せ付けず多様性を認めない古い人々に、ひたすら嫌気が差しているだけの毎日。
以前仏教で「ただ目の前のことを淡々と一生懸命にやりなさい」という教えを読んだことがあり、今はなるべくその言葉を思い出しながらなんとか毎日をしのいでいます。
でも一体いつまでこれを続ければいいのか、いつまで身動き取れない状態が続くのか…もう何年もこの状態が続いているので気が遠くなりそうです。
目の前のことを一生懸命やっていれば、本当にいつか回答は出せるのでしょうか?
これが自分の人生だ!ってもう一度思える何かと出会えるのでしょうか。
有り難し 41
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