憎い他人を許すことで、徳は高まりますか?
前に働いていた会社から、
試用期間終了に伴う解雇処分を受けたことに憎しみを覚えているのですが、ゆるすべきなのでしょうか?
今、徳を積みたいと思っているので、
ゆるしたほうが仏教的にはよい行いとなるならばゆるす努力をしたいと思っています。
しかし、実際の心情としては、
半年も前の事なのにいまだに整理がつかずに、「絶対にゆるさない。私の処分に関わった人間はすべからく不幸になってほしい。特に上司だった人間は家族までも不幸になってほしい」と呪いの感情を捨てられずにいます。
解雇の理由が、
・ワンマン経営の上層部のお気に入りではなかった
・勤務態度、成績などにはなんら問題もなかった
・私よりも勤務態度の悪かった(居眠りや勤務時間の半分はTwitterをみてる)社員、会社のセキュリティーカードを紛失した同時期入社がいまなお在籍していること
など、納得できない点が多々あり、
それを誰かに感情のまま発散するでもなく、なんとなく平気なふりをし続けてきたら、
胸の奥でどろどろにこじらせてしまったようです。
不当解雇での訴訟も考え、弁護士に相談しましたが、
「理由としては不当性を感じるが、解雇の手順などに法的にだめなところはないので、訴えても勝てるかどうかは五分五分」と言われ、二の足を踏んだままでいます。
憎んではいますが、自分の金銭負担や徒労のリスクを抱えてまで、相手を苦しめてやろうとも思えないレベルなんだ、と嫌になってきました。
晴れない気持ちを抱えたまま、忙しくすれば忘れるかと思いきや、ずっと忘れられず、
憎しみばかりが積もっていきます。
しかし、わたしは徳を高めたいのです。
憎しみや報復を望む感情はなんとも徳を積むことから遠いように感じます。
誰かをゆるす努力は、徳を高めることができますでしょうか?
徳が高まるという目的があるなら、頑張れる気がします。
ご意見をうかがえますと幸いです。
ちなみに徳を高めたい理由は、
ひどく煩悩的なものですが、くじ運のようなものをあげたい事が理由です。
有り難し 72
回答 2