許すことができない。できれば関わりたくない。
私は、関西在住46歳 既婚、子供1人。兄は、関東在住、既婚、子供2人。
両親は、関西在住70代後半。
父は、大人になり切れない人でした。
普段は優しく、子煩悩なところもありましたが、私たち兄妹が幼い頃から、仕事に行かなかったり、転職を繰り返したり蒸発を繰り返していました。
私たち兄妹が成長するにつれ、父の悪行はさらにエスカレートし、パチンコ狂いし、消費者金融にて借金もするようになりました。
そのせいか、母は、私たち兄妹に依存していたと思います。
けれど、スポーツ、勉強に何をやらせても器用にこなす兄にくらべ、私は母の期待に反するできの悪い子供でした。
高校受験に失敗した頃から、ずっと、「恥さらし」「あばずれ女」と、ことあるごとに言われ続けてきました。
28歳の時、仕事から疲れて帰宅したときに、仕事もせずに一日ゴロゴロしてテレビをニヤニヤ観ていた父が、帰宅し私に夕飯を、早くつくれ、作ったら作ったで手抜きだと文句をつけてきました。我慢できず、ありとあらゆる暴言を吐きました。案の定、父に殴られ蹴られ、髪をもって引きずられ、顔はパンパンに腫れ、そんな中、帰宅した母に言われた言葉は、『すねかじりの身分で親に反抗するな、これあんたのせいや いい加減にしろ』でした。
その日のうちに私は、家を出ました。
友人の力も借り、一人暮らしを始めました。1年くらい両親とは連絡をとりませんでした。心穏やかで幸せな時間でした。
1年ほどしたときに、このまま音信不通ではいけないと思い、居場所を連絡しました。母がすぐに来ました。再会後しばらくは、母との関係も良好でした。一緒に暮らすより、少し距離を置いた方が上手くいくのかな・・・と思いました。
けれど、いつでも話せる、会える状況に慣れてくると、また母は私のことを干渉し、罵るのです。
私が独身の頃は、私が結婚しないと兄に迷惑がかかる。兄のお荷物。
結婚したらしたで、12月出産予定の私に、早く産め。年末年始はみんな忙しいのだから陣痛誘発してもらえ。
義母の葬儀の時には、父が母と喧嘩し参列欠席。義母の入院中3兄弟の3男の嫁にも関わらず、舅の保存食を持参し毎週帰阪しできるだけのことをしてきた私に対して、労うどころかちゃんとやってのか。
会うたびに、けなされ正論で返せば、親を負かせして楽しいか!です。
それでも親の面倒みなければだめですか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無宗教という名の自己中心主義
精神的に出家することをお勧めします。
家庭、家という人間の独自ルールの巣窟からの離脱、出離です。
「オレは・私は【正しい】」と思い込んでいる人間から距離を置くことです。逃げではなく、あなたの身の安全の為です。
車の車間距離を保つように精神的に距離を保つことです。
どんなに暖かい温泉でも長湯をすれば毒です。
あなたの親御さんは実際に生活が苦しかったのでしょう。不幸せだったのでしょう。
親が毒親さんになっていくのは経済的にか、周りとの関係性か、その親の関係か、夫婦関係か、その本人らを取り巻く環境によるものです。
不満、フラストレーションのホコ先が子供に向かっていくケースがほとんどです。それは親自身にコンプレックスがあるのです。幸せになってはいけないような自分いじめの精神が内側に働く。
幸せであったと言い張っても本当に満たされた人たちはそんなイジメはしません。
宗教心がないと都合や自分のルール中心で満たされがないのです。
大変でしたね。お気持ちよく分かります。
心優しい人は無自覚の宗教性を持っています。
宗教性とは簡単に申し上げればエゴや自分中心を離れた心。
相手の尊重もできる心。
私はあなた自身があなた自身の為にあなたの宗教性を深めていくことが大切だと感じます。
深い意味で申し上げますと、あなた自身がより高い精神性、宗教心、心の豊かさを持つ事で、あなたも親に対する理想を求めることがなくなり、あなた自身があなた自身の人生を最高のものにできるのです。家族、家庭、親兄弟をしのぐ心の豊かさをもってください。
物事を思い通りにしようとするとあなたが体験したその痛ましい結果になります。
人は自分自身の我欲の恐ろしさを自覚し、反省がないと宗教心が生じません。
まずはあなたが、あなたから、あなた自身の心の豊かさを求めてみませんか。
たとえ親を許せなくてもあなた自身を赦せるようになるので、あなたの中の親への否定的な気持ちも緩まるようになれるからです。
毒親を機縁として仏の心を求め頂いた仏の心で親と自分を赦し、見返りやホコ先の無い報恩行を勤めることであなたは救われましょう。
まだ勝ち負けなのね
ご苦労様です。きっと貴女は、ご自身のご家族を大切に、きちんと切り盛りされているのでしょうね。それで十分だと思いますよ。つまり放っておいて良いと考えます。
「会うたびにけなされ…」は、私からみても「大人になれないまま」と感じます。男同士、つまり父親と息子であればライバルになるのはよくある話ですが、娘に対してもそのような言い様は、まぁみっともないと感じます。
「親を負かして嬉しいか」、これ負けを認めている発言ですよね。ということは、昔あなた方兄弟を育てているときは、自分が大人で子どもが言うことを聞くのが嬉しかったのでしょう。つまり、自分が社会の中で評価されないことのはけ口だったのかな…と想像します。
あなた方兄弟が、親から「負け続けてくれた」から、子育てができたのでしょうね。であれば、あなた方の子どもとしての役割は終わり。「ああ、嬉しいわ。今まで散々辛い目にあわされてきたんだもの、ザマァ見ろよ」と投げつけても良いと思います。そして反応を待つ。今際の際にでも「あなたたちには悪かったわね、ゴメンね」と言えれば少しは和らいだ気持ちで送ってあげられるでしょうし、言えなければ「南無阿弥陀仏。私にはそれ以上できません」とお唱えすれば、あとは仏様が面倒をみてくださいます。
許すことができない、その自らの器の狭さを知り、南無阿弥陀仏とお称えください。
もうあなたが大人に
あなたは親御さんを見て、そうならないようにしたらいい。子供は自分の思い通りにするモノではないです。思い通りにしようとするとかならず、そこに歪みが生じます。
もう親御さんよりあなたは大人になってしまったのです。何も求めず期待せず、あなたは赦すことができるかどうか。赦せないなら距離を置く。
温かく見守ることしかできないでしょう。ジブンの我を押し付けてこられるとなんともやりにくい気持ち良くわかります。そんな時こそ冷静に。落ち着いて。イライラしたら声を出さないことです。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなりすみませんでした。
限られた文字数の中でどこまで正確に状況や思いが伝えることができたか・・・・もしかしたら、親を許せない私が未熟だと諭されるだけではないだろうか・・・などと思っていましたが、つたない私の文章、すべてを伝えきれていないにもかかわらず、お坊さんのお言葉に、私の思いはすくいあげられた気がしました。
親が年老いていく現実の中、親を恨む思いと、そんな自分を責めたり諦めたりする思いが常に波のように入れ代わり立ち代わり押し寄せ自己嫌悪に陥ったり、時には消えてなくなってしまいたいと思うこともありました。
今回、お坊さんの回答を読んでいると、私の中の固く固く絡まった何かが、少しほどけたとゆうか、緩まりふわっとなにかに包み込まれた気がしました。
そして、泣いてしまいました。
ずっと泣きたかったのかもしれません。
ありがとうございました。