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人を許すにはどうしたらいいのですか。

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有り難し有り難し 64

自分に酷いことをしてきた人達をを恨む発言をしたら、相談していた人に「酷いことをした人達を許してあげたら」と言われました。

私にとっては精神科にかかるぐらい悲惨な目に遭わされたのにそれを許すのが正直難しいです。

許すということがよくわかりません。

本当にツラかった、裏切られた、騙された・・・

そんなことをした人を許すのは神さまぐらいなもののような気がしてならない。

私のような人間には人を許す度量も気力もありません。

どう生きていけばよいのかも分からなくなっているのに。

許すという意味さえ理解出来なくなりました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

蛇が脱皮するように

許すことは難しいですよね。
お釈迦様は恨みを捨てよと言いました。
許すというより、捨てること。
許せないけど、恨まず行きて行くこと。
蛇が脱皮するように恨みを脱ぎ捨てよ。
このようにも言いました。
恨んで復讐するならまだしも、恨んで自分が苦しむだけなんて、何の意味もないこと、それこそ相手の思う壺です。
自分のこれからの為に恨みを捨てることが必要なのです。
あなたが恨みに囚われず生きることが、相手に対しても一番の復讐になるのです。
そのように考えてみてください。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

許せなくとも、仏様の智慧により「認める」ことはできないか

大変難しい質問だと拝読いたしました。
おっしゃる通り、「許す」とは何なのでしょうね。

私もここhasunohaの問答で「許すことがあなたの救いになります」といった意図の回答をすることが多々あります。
しかし同時に、私も質問者様と同じ事を経験したならば果たして「許す」ことができるだろうか?と自信がなくなることも事実です。
その「酷いこと」という行為は何があっても許せないのかもしれません。

しかし、仏様の智慧に照らされるならば、感じるところが一つございます。

その「酷いこと」をした人は、その行為をしたくてしたのか?ということです。

浄土真宗の宗祖親鸞聖人は

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
(ご縁によってはどんな行いをもしてしまう)

と私たちの有様を言い当てられました。

赤ん坊が多くの人を救う医者や科学者や宗教家になる一方、殺人犯になってしまうご縁もございます。
殺人犯になりたいと思う人が果たしているでしょうか。

もっというならば、今ここにある私のいのちも、私が望んで手に入れ、私が私の力だけで生きているわけではありません。

あらゆる因縁(環境・条件・対象)によって成り立たされた、生かされたいのちなのです。

はからずも生をいただいた私たちは、はからずもご縁によって悲しい行為・恐ろしい行為をもしてしまうのでしょう。

だからといって全てご縁のせいで本人に責任はないと言っているわけではありません。そこに自らの責任を感じ受け止めていくことが本人にとっては大切な事でしょう。

一方で、「酷いこと」の「行為を受けた側」としては、ご縁によってはどんなふるまいをもしてしまうのだという人間のいのちの事実に立ち、そのご縁をともに悲しみ・憐れむ。
たとえ許せなくとも、縁によっては何でもしてしまうという「同じ人間」であることを「認める」ことが、少しずつ「許す」ことにつながるのかなと感じます。

「行為」や「本人」は許せなくとも、
人間とはどういう存在なのかを仏様の智慧に教わるならば、そこに道は開けるのかもしれません。

南無阿弥陀仏

合掌

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おきもち

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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