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「宗教について」問答(Q&A)一覧

宗教、神道、スピリチュアル

今の世の中は情報で溢れています。 スマホって簡単にいろいろ調べることができて、情報で溢れかえっています。 心がツライときや精神的にしんどいときに、 精神的に弱く強くなりたいなぁ 傷つきやすい性格を変えたいなぁと思い、 検索魔になって検索すると、 あれやこれやいろいろ出てきて、 何が良くて何が悪いわけではないと理解していますが、情報が多すぎて、よくわからなくなってきます。 何がホントなのか?何を信じていいのか? きっと私意外にも藁をもすがる思いで、いろいろ検索する人もいると思います。 (確固たる宗教など崇拝してる方は、このような迷いはないかと思いますが…) 信じたいことだけ信じてればいいのでしょうか? 仏教的な目線は下記のことはどのように思われますか? 全ての出来事は引き寄せ? 出会う人や出来事は偶然?必然? 自分に起こる出来事は必ず必要? 乗り越えられない試練はない? 健康に問題があるときは暗示? 仏様にお願い?神様にお願い? 宇宙に任せる? 自分の胸にすーっと収まった言葉こそがご縁があり、その時に、ん?なんか腑に落ちないなって思う言葉は受け入れなければいいのでしょうか? そのような言葉でも後から受け入れるようになるかもしれませんが… 私自身、家に仏壇もあり仏教ですが、正直、意識するときはお墓まいりや法事の時だけです。ですが、今度はお墓があるお寺に仏教講座があるので、参加しようと思っています。 自分勝手な考え、散文、お許し下さい。 お手数お掛けします。よろしくお願い申し上げます。

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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

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神を信じているはずなのに~相談します。

私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。

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キリスト教か仏教か。

いつも、相談にのっていただきありがとうございます。 ストレートで申し訳ないのですが、キリスト教を信仰するか、仏教を信仰するか、迷っています。 キリスト教の教会は10年ほど前ですが、通っていました。信仰告白もして、あとは洗礼を受けるだけ…という所までいったのですが、別れた主人が浄土真宗のお寺の孫でキリスト教なんてとんでもない!と激怒され、そこから疎遠になってしまいました。 仏教はお経を今、私なりの言葉でわかりやすく訳していて、お釈迦様や阿弥陀如来の智慧に向き合う度に泣くほど感動することもあって、とても心を惹かれています。 幸い、わからないことがあったら聞いてくださいねと言っていただける僧侶の方とも出会うことが出来て、何度か質問もしました。 その僧侶の方の人となりだと思うのですが、終始、仏様を信じられたらいいですね。と言ってくれます。 私は仏様を信じたいと思っていますし、お経から導かれたこのご縁を大事にしたいとも考えています。 ただ、どうしたらいいのかわからないのです。キリスト教の時は日曜日の礼拝から始まり、聖書の勉強会を定期的にすることで 信仰を深めて行くことが出来たのですが、仏教は敷居が高いと言うか、私の住んでいる地域では勉強会もないですし、法話会もこのご時世なのでやっていない所も多く、やっていても都合が合わなかったりでなかなか信仰が深められません。 そんな時にクリスチャンの友人からまた、教会に行かない?と誘われました。 私の気持ちは仏教に傾いているので、教会に行く気持ちはないのですが、正直揺らいでいるのも事実です。 どうしたら、今ご縁がある僧侶の方に仏教を信じたい!仏教の勉強がしたい!という私の気持ちが伝わるのでしょうか? 仏教の勉強が出来るサイトや学校みたいな所も見つけたのですが、お金がそこそこかかるようでカツカツで暮らしている今の現状では厳しく…。 内容が前後して申し訳ないのですが、ご縁があった僧侶の方には信じたいということも、もっと勉強したいということも伝えています。それでも、返ってくる言葉は「信じられたらいいですね〜」という感じで、最近は私と関わってしまったことを面倒臭く感じているのでは?と思うことしきりです。 長文駄文失礼しました。 よろしくお願いします。

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他宗の御僧侶のお話を聞いて前に進みたい

物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです

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家族全員某宗教を信じていて息苦しいです。

(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。) 某宗教に対してマイナスな状態で入信状態にあります。 自分は生まれてすぐその宗教に入信しました。親が勝手にです。 教えもとても良いと思っています。勉強していてとても為になるなと思うこともしばしばです。 ですが、両親や祖父母が敬虔な信者で、地区ではある程度の地位があるようで自分も一緒に座談会や会館での働き?会合の手伝い?に行ってるのですが、お金をもらって働いてるわけではなく、自分のようなマイナスな思考をもっていて、楽しくもなく、やりがいもなく、なかば強制的に信仰させられている身からすると大変苦痛になっています。 さらにその宗教には支持政党があるため、選挙の時期になると宗教らしい話などなく、自分の選挙の自由がないようにも感じるときがあります。 信教の自由や選挙する権利が脅かされてるようにも感じています。 親にあまりその宗教が好きではないと相談したこともあります。そのときは話を聞くふりをして、地区の偉い人間を呼び、こんなことを乗り越えてああやって私達を指導してくれてるのだから!とか返事にならないことを言われさらに嫌気がさしてしまっています。 弊害といってはよくないですが、友達と初詣にも行けなくて付き合い悪いなと言われたりしたときも、他の宗教信者だなんて言えないですし、興味でお寺や神社に入らせてもらおうとしても、こんなことしてるの見られたらかなり叱られるなとか、後ろめたさを感じてしまうときがありました。 その宗教は評判がとても悪いうえ、自分の好きなことがしにくく、脱会しようとしたら家族全員と縁を切ることになってしまいます。学生の身でこの歳では脱会を実行に移すのはかなり厳しいかなと思っております。 明確な解決方法というよりも、今の状態でうまく過ごす方法を教えてほしいなと思っております。長文となってしまい、私情もおおく稚拙な文章でおこがましいですが、お返事いただけたらなと思っております。よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 50
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