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宗教や宗派ってそんなに重要ですか?

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宗派のラベリングに重要性が見いだせず、むしろ弊害を感じることが多いです。
(800文字と長めです。)

以前とある牧師さんに教わりました。「キリスト教は浄土宗とソックリだ。日本向けのローカライズのために、あえて仏教に化けて広めた可能性を疑う研究者すらいる(笑)」

真偽はさておき、個人的には同感です。核心部たる念仏などは酷似しており、言葉が違うだけで内容はほぼ一致かと(素人目には)感じています。となると、キリスト教と浄土宗の本質的な違いは何でしょうか?人智を超えた神仏を※※教だけが独占できると見なす構造にも疑問があります。

ここからが本題です。その違い(ラベリング)は、諸々の軋轢を覚悟してまで保つべき、重要な違いなのでしょうか?

些細な見解の差で派閥や宗派が分かれていき、しまいには宗教戦争が起こるのだとしたら、単なるセクショナリズムと何か違うのでしょうか?5%の違いのせいで協力できず、残り95%の共通点を捨てているように見えます。ましてや同じ宗派や寺院の所属でも、個人ごとに意見はバラバラだというのに。宗派の上納金制度?などを聞いても、宗派はいわゆるビジネス上の"のれん"に過ぎないのでは?との現実的な疑問も浮かびます。

問いの対象は浄土宗だけではなく、宗教と道徳の境界線についてです。話がそれますが、中東問題などを理解する上でも避けて通れないテーマです。奇譚のないご意見を頂けると嬉しいです。

問を整理します。
「学べば学ぶ程に、宗教や宗派のラベリングに重要性が見いだせません。むしろなぜ拘るのかわかりません。私に欠けている視点を、どうかお聞かせください」

以下は補足です。

私はキング牧師やガンジーを尊敬しています。彼らは別々の信仰を持ちつつも、※※教徒のためではなく、社会全体の差別撤廃のために活動しました。それでいて、全ては信仰に基づくと明言しています。このスタイルに敬意を持つ反面、宗教宗派のラベリングに違和感を持つということは、何かを見落としているのでしょうか?

宗教とか宗派に拘りがなく、人に言われるまで気づきもしないのはダメなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一社会人として

仏教は、膨大な経典を一列に並べてみても、ハッキリ言って辻褄はまったく合わないでしょう。なぜならば、仏教は【対機説法】が基本だからです。相手の能力に応じて、説く内容が変わります。また話の相手が同一人物でも、時と場合に応じてやはり内容が変わります。宗派の違いは、どの経典をメインテキストとしてきたかの違いであるとも言えるでしょう。その中には、たしかにキリスト教に似たモノもあるでしょうし、イスラム教に似たモノがあっても不思議ではありません。

しかしながら、仏教は全体を統一しないところに、その良さがあるとも私は思っています。キング牧師やマハトマガンジーも尊敬しますが、宗教や宗派の問題を考える時、私はいつもマザーテレサを思い浮かべます。詳細な説明はこの場では省きますが、彼女は信仰の違いで手を差し伸べる相手の選別しなかっただけではなく、活動場所やスタイルまでも柔軟に時と場所、相手に合わせていきました。これは大変な偉業だと思います。しかし、彼女はカトリックの修道女として、あくまでも神のミッションを忠実に遂行しているにすぎないと思っておられたことでしょう。彼女の生き様から、私も社会問題などに斬り込んでいく際には、真宗大谷派僧侶だからというよりは「仏教に育てられた一社会人」として、宗教宗旨宗派に囚われることなく、あくまでも自由に、しかしきちんと責任をもって声を上げ、行動を起こすことにしています。

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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ラベリングが害なのか、それとも

よろしくお願いいたします。

》「学べば学ぶ程に、宗教や宗派のラベリングに重要性が見いだせません。むしろなぜ拘るのかわかりません。私に欠けている視点を、どうかお聞かせください」

宗教は分かりませんが、宗派に関しては、分けることに何か価値があってラベリングしているのではありません。それぞれ成り立ちがありますので、それらを学んでいくのも仏教の学びの糧になると思います。

相談者様が疑問に思う点はもっともですが、ゆで卵が生卵にならないのと一緒な気がします。

こだわらないと仰るのであれば、ラベリングがあっても良いのではないでしょうか。「こだわらないこと」にこだわるなら話は別ですが。

無理矢理ラベルを一つにしても、ラベリングの弊害がなくなるとは私には思えません。

》宗教とか宗派に拘りがなく、人に言われるまで気づきもしないのはダメなのでしょうか?

ダメではないと思います。相談者様には全く非はないと思います。そういうスタンスで学べる良さもあるでしょうし、逆に踏み込むことで得られることもあるのかなと思います。

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1979年名古屋市生まれ。 真宗大谷派の僧侶です。
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仏教はラベリングをはがす教え

こんにちは。

 あなたの信仰する教えが、ラベリングを貼る教えだとしたら、仏教はあなたの言うところの「ラベリング」をバリバリはがす作業をする教えだと思います。
 日本の仏教には様々な宗派がありますが、それは、その「ラベリング」のはがしかたの流派みたいなものです。ラベルをはがす教え同士なので、仏教での宗派同士の争いはないし、日本の仏教徒は仏教以外の宗教に対しても寛容でクリスマスやハロウィンなどもお祝いします。ラベリングがはがれているからです。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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きめ細かく見れば違う

たしかに、違う宗教でも、似ている点や共通点があるものもありますね。
ですが、だからと言って「どれでも同じ」とは言えません。
自転車もタクシーもタイヤが回転して走ることは共通ですが、別の乗り物です。
ひとつひとつの宗教宗派をきめ細かく見ていけば、かなり違います。
よく調べもせず盲信するのも、反対に、よく調べもせず批判するのも、どちらも私たちの煩悩です。
いずれにせよ、自分に合った教え、自分に合った修行方法にめぐり合えればラッキーですね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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釈尊の仏教を調べてみてはいかが?

宗教はほぼすべて、おっしゃる通りのものだと思います。
 キリスト教も仏教も、各地に広まる中で、各地の神話や信仰や文化を取り入れてどんどん変わっていきました。不純物が混ざるので、本質は見えにくくなるでしょう。
 では、各宗教の大本を探ってみてはいかがでしょうか。純粋な、これだけは、という大本にさかのぼってみれば。
 キリスト教の根本の「教え」は何か、何に説かれているのか、その内容は受け入れるに値するか、、、
 仏教の場合は、宗派に分かれる前の釈尊の言葉そのままと言われるパーリ聖典が、いろいろ和訳されています。
 しかし、お経を読んだだけではまだわかりにくいかもしれないので、スマナサーラ長老の本や説法に触れてみることをお勧めします。youtubeで「スマナサーラ」で無料で簡単に見られます。
「パーリ聖典さえも釈尊の直説とは言えないぞ。釈尊の言葉は厳密には分からないのだ」という人もいますが、そういう人は、結局、真実は今やどこにもない、少なくとも真実は自分には探せないと言っているのと同じことなので、そういう人の話を聞いても、そこから真実は分からないということだけは明らかです。
 真実が知りたければ、可能性のあるものはとりあえず調べてみるのがいいと思います。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

ご解答ありがとうございます。
自身の悩みというより、他者のスタンスをもっと理解したかった、という趣旨でした。正直言って、わからないままですが、それでいいと腹が決まりました。

私は無宗教無宗派を自認したまま、基礎的な教えを具現化していくのに力を注ごうと思います。ご指摘の通り原始仏教は近いと思うのですが、、社会との関わりの面が欠落している(ようにみえる)点が気がかりです。

宗教的には5流の知識でも、それを着実に実践できる人材が求められてる気がしております。宗教家としてというより、事業家としてのマザーテレサの背中を追いかけようと思います。

重ねてご解答ありがとうございました。

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