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「宗教について」問答(Q&A)一覧

私の信仰について

今の現状について私なりに答えを出してみました。家族の新興宗教のせいだと思ってきましたが、私が仏教に興味を持ったのもその新興宗教に対する対策がきっかけでした。 全ては仏縁なのかな。そう思えるようになりました。すべてを否定する。それでは新興宗教と一緒ではないかと。仏教を勉強してきて思えるようになりました。 以前、hasunoha様で浄土真宗から日蓮宗への改宗を考えているということで相談して、その縁で近くの日蓮宗のお寺に行き法話などを聞かせていただいております。 改宗や墓じまいなどの未来のことで暗くなって急がなきゃと焦ってしまっていた自分を見つめ直せました。hasunohaのお坊さま方、ありがとうございます。 前置きが長くなり申し訳ありません。ようやくここで質問に入らせていただきます。私は南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を同時に信仰しているというような状況になっているのですが、この状況は問題ないのでしょうか? 日蓮聖人は南無阿弥陀仏を唱えると地獄に落ちると仰られており、親鸞聖人は念仏をして地獄に落ちても後悔はないと仰られたと歎異抄にありますが、 日蓮聖人や親鸞聖人は今の私の信仰の有り様にどう思われているのかなと思い、不安というか、こんな不安定な信仰をしている人間でいいのかなと思ってしまいます。以上まとまりのない文章ですが、お坊さま型のご意見お伺いさせていただきたいです。

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〇〇宗のお墓の前で、無宗教の人がお経を唱える意味は何ですか?

今や自分はともかく親が何を信仰しているかも分からない場合が多いと思います。そして特定の菩提寺を持たない場合において、祖父母の墓参りなどで直面する、お墓の前で唱える言葉の意味についてどう考えたらよいのか悩んでいます。 基本的には自分が信仰する宗派において、自分自身のために唱えるのは理解できるのですが、故人のために唱える場合は、どういう意味があるのでしょうか。 そもそも故人は自身の信仰によって成仏されていると思うのですが、それに対し後世に他人(親族です)が言葉を唱えることの仏教的な意味を知りたいです。 また、〇〇宗を信仰された祖父のお墓の前で、▲▲宗を信仰している(もしくは何も信仰していない)孫が唱える言葉は何が良いのでしょうか? 一般的には〇〇宗のお墓の前では、〇〇宗の言葉(例えば南無阿弥陀仏など)と教えられたのですが、よくよく考えていくと自分の信仰していない宗派の言葉を「形式的」にだけ唱えるという事になってしまい意味があるのかな、と思い始めました。 浄土宗などは念仏を唱えることに意義があるという点では、形式上であったとしてもある程度は理解できるのですが、浄土真宗やその他禅宗などにおいては意味があるようには思えないのです。 今まで深く考えず、親に教えられた通りに唱えていたのですが、勉強すればするほど分からなくなってきてしまいました。 迷える子羊をお救いください。

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私は何を信用すればよいのでしょうか。

先日、悪いことばかり続いていると相談させていただき、自分の考え方を変えることをアドバイスいただいた者です。 信教は自由といいますが、私は一体何を信じればよいのか分からなくなってしまいました。 私にはもともとこれといった信教はなく、神社にもお寺にも行きます。 この半年以上、悪いことがたて続けに起こり、どうにもならず、なんとかしようとすると必ずから回ってしまう非常に辛い状況が続いています。絶対に何かおかしいと原因を考えたところ、家相に思い当たる節があり、2つの神社で家相鑑定をしてもらいました。すると、家相に関しては2社で結果が違いましたが、現在の家に引っ越した時期と方位が非常に悪く、五黄殺であったことが原因だという点は共通していました。ですが、その対処法については2社で正反対の意見で、その他の内容の回答から、我が家のことをより言い当てた神社の言う通りにしようかと思っていたところ、その対処法は、今すぐ実践できるものではなく、実践しても効果が出るまでさらに一年ほどかかると言われてしまいました。今とても辛い状況なのにそんなに待つことはできません。 一方、主人は幼少より信仰している宗教があり、今回は良い機会だから一緒に入らないかと誘われています。主人や主人の両親、知り合いにも入っている人がいるので安心感もあり、話を聞くとその教えの内容もよく分かります。これまで信仰の違いから夫婦で度々衝突してきたので、今回はいっそのこと私もそちらを信仰した方が良いという天からのお告げのような気もしています。ただその宗教に入ると、神社に行く等他の宗教に関わることがよくないらしく、もし今回、悪いことが続いている状況をなんとかしたいという願いがかなわなかったときに行き場がなくなってしまうのが心配で、なかなか踏みこめずにいます。 教えの内容も理解でき、主人とこれからも仲良くやっていくためにも、主人の宗教を信用すべきか、はたまた私の心配の種を言い当ててくれた神社を信用すべきか、今回の件に関してどうしたらよいか悩んでいます。 また、神社の鑑定いわく我が家は知らずのうちに五黄殺を犯してしまったために災いが起こり続けており、何もしなければ十数年、もしくは数十年この状態が続くそうですが、仏教の世界や一般的にも五黄殺なるものは存在するのでしょうか。ちなみに主人の宗教ではそのようなものは関係ないそうです。

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真っ暗闇の中、小さくうずくまる、それでも…

「私には信仰の自由がありません。」 そう書いていて何ですが、親の言いなりに生きてきましたけど、学生最後、型破りな生き方をして大学を卒業しました。 そういう卒業の仕方がアリなのか?ナシなのか? 多分、私と同じことをしてもナシだったり、卒業を認めてくれないかも知れません…破天荒過ぎて…。 でも、先生の理解をこえた生き方をすると…ナシがアリに変わることがあるのです…。 私は、とても熱心に勉学に励み、文句言う先生がいないぐらいちゃんと成績も残して、講義だって休んだことはありませんし、居眠りもしたことがありません。 勉学だけでなく、先生との信頼関係を得る為に、積極的に研究室に足を運んで、私なりに努力して努力して努力して… 卒論を書かずに卒業しました。 その代わり、大学以外の場所、社会人の中に混じって様々な活動をし、最後のまとめの卒業発表の場でないところ、教会のミサの場、人前で、自分がどんな生き方、学生生活をしてきたかをお話しする、それを私の着地点とすることで無事卒業を認めてもらいました。 信仰の自由もない、信じる余地もない、もちろんキリスト教徒でもない… たまたまミサだっただけで、もしかしたらお寺さんだったかも知れません。 たまたまです。 京都市内に下宿していたので、お寺さんだってたくさんありましたし… だから、本当にたまたま教会で時間をお借りしただけでして… 今?今は… ちょっと仏教を…親に秘密なので…無宗教っぽいですが… お寺さんも仏教も大好きです。 こんなこと言ったら、殺されそうです。 体を包丁で刺されるとかでなく、心を包丁で刺されるような気がします。 でも、死ぬのは怖くない。いつ死んでもいいと思っています。 後悔はありません。 今、南海トラフ地震が起きて、家が倒壊して潰されてもいい。 今、外に出たら車に跳ねられてしまった、でもいいのです。 親不孝なのは申し訳ないと思いますが、そういう覚悟で、今を偶然生きています。 皆様、どうもありがとう。 何故か生きていますよ。 hasunohaの相談を読ませていただいたりすると、人はいろんな苦しみや悲しみを感じて生きているのだなぁ…と思います。 私はいろいろ不自由ですが自由なので、生きている間は、白い色鉛筆で絵を描いていきます。 間違っていた時には、厳しく喝!を入れて下さい。

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 仏教は宗教ではありません

 12月5日付の新聞報道にアインシュタインの手紙が競売に付され高額で落札されたとの記事がありました。  その手紙に宗教の神に対する否定的な見解が示されていました。  仏教は神がいないことで、宗教ではないと言えます。  仏教の基本は真理と論理による宇宙の真実が語られています。  真実とは、宗教の信仰の有無や宗教の種別に関係なく、すべての人に等しく適用されるものです。  真実の中身は、宇宙のすべてが空で構成され(色即是空、諸法空相)、現実の世界は空が物質に変化したものである(空即是色、諸行無常)と説明しています。  そして論理(縁起の理法)により、身体はその構造が複雑で故障しやすく死に到りますが、構造の簡単な心は死ぬ要因ががなく、通常の心境ではいつまでも生き続けます(輪廻転生)。  涅槃(心を空に戻す)に依る以外に四苦から逃れることが出来ないと言う、瞑想から得た真実の悟りをすべての人に知ってもらう為に、仏教として広めたのです。  心境のレベルによって、涅槃を求める方法が多岐にわたるため、宗派が分かれたと思います。  アインシュタインも、深い洞察でその見解をえたのではないでしょうか?

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仏神習合

日本では、仏教と神道が共存しております。大変有り難いことで素晴らしい事だと思っております。なぜそうなったのでしょう。答えは簡単です。日本の八百万の神々が八百万の御仏のいる仏教を必要としてくれたからです。御仏の神と名乗る者でも慈悲を持って救いたいという思いが日本で受け入れられたと思います。大変有り難いことです、日本では自然のありとあらゆるものを神様としてきました。日本人の相手を思いやる慈悲の心が仏教を根付かせたのだとおもいます。神様はいます。ただ神様は何も出来ませんがあなたを必要としてくれいます。それに対して慈悲を持って接するのが仏の道だとおもっております。さて、海外の宗教では唯一無二の神がいるとの事ですが、わたしは、それが誰なのか知っています。それは、最愛の配偶者てす。残念なのは、それを知らないものが戦争を起こしています。その神様をもすくいたい、それが仏教修業者としての私の心構えであります。仏教には様々な願いを持った仏様が沢山いらっしゃいます。その思いを汲み取るり、衆生救うのが私の仏教の修業と考えております。僧侶の皆様には、これからも、よろしくお願い申し上げます。合掌。追伸あなたを必要としてくれる者は全員神様です。有り難いことです、

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