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心構え・生きる智慧
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SNSに振り回される毎日…いいね!への執着、承認欲求を手放すお坊さんのアドバイス

SNSが普及した現代、「いいね」をもらうことに喜びを感じ、いつの間にかそれに執着して「SNS疲れ」をおこしまっている方が増えているようです。
承認欲求は人間には切り離せない欲望ですが、際限なくふくれ上がると逆に自分自身を苦しめることになってしまいます。
お坊さんから生きる知恵(アドバイス)をいただけるhasunohaでは、心の悩みに関する相談が多数寄せられています。今回はその中から、承認欲求に苦しめられる方からの相談を紹介いたします。

SNSで「いいね」をもらうことが生活の中心に


SNSで「いいね」をもらうことに振り回されて、優越感を感じたり自信をなくして落ち込んだりしてしまうという、質問者の楽しく生きたいさん。

傍から見ていると滑稽に見えるかもしれませんが、本人は無自覚のうちにSNSで「いいね」を貰うことが生活の中心になってしまうのです。

肥大化する承認欲求を消すためにはどのようにすればよいのか、お坊さんからありがたいお言葉をいただきました。

メタボ化する承認欲求は自分自身でセーブすべし

いつの時代でも承認欲求は人間を悩ませるもの。しかし、インターネットでいつでも誰とでもつながれるようになったことで、承認欲求が「メタボ化」してしまっているとあるお坊さんは分析します。

SNS依存度によるのでしょうが、思い切って今までやっていたSNSをやめてみるとか、スマホばかりついつい触ってしまう人はガラケーに戻してみるとか、個々が少しでも自分でメタボ欲求を自覚して、改善したいと思い、距離を置くしかないのでしょうね。
(唯称寺 大乗)

ハンバーガーや牛丼がおいしいからと言って、際限なく食べ続ければメタボになり生活習慣病を患ってしまいます。SNSも同じで、自分の欲求のなすがままにしていては心が病んでしまうでしょう。食欲であっても承認欲求であっても、改善するためには自覚してセーブしていかなければならない、というアドバイスはとても納得できるものです。

仏教の内観を応用して無我の境地へ

あるお坊さんは、次のような素敵な回答をされていました。

オシャレで美味しいスイーツをアップしました。それはスイーツがイイねされているのであって、私がイイねではないと知覚しましょう。
(中略)こんな心掛けが肝要です。仏教の内観の応用です。
(中略)インターネットとかリアルとか関係ありません。全ての苦は、この『私』という妄想から出発しています。それがお釈迦さまの教えです。
(大慈)

内観とは、心の内に問いかけることで自分を悩ませる原因を知覚すること。SNSでも、自分自身が褒められているのではなく、アップした写真や言葉自体が「いいね」と思われていると知覚する。考え方を少し変えることができれば、他人に対して優越感をもったり自信を喪失してしまったりと、承認欲求に振り回されることはなくなるのでしょう。

元の問答:SNSに振り回される現代人について、どのようにお考えですか?

「苦」の原因となる承認欲求を手放すためには

次は、承認欲求に悩むたにしさんからの質問です。

認められたい、評価されたい、褒められたいという心。
これらがなくなれば、ほとんど苦はなくなる気がします。
これらの心を手放す為の考え方、方法をご教授いただけませんでしょうか?

欲望を手放すという一大テーマに、お坊さんはどのように回答されたのでしょうか。

欲しいものを人に与えて、因果を利用しよう

自身も、肥大化する承認欲求という煩悩と闘った経験があるというお坊さん。ある時、こう悟ったそうです。

私はこの承認欲求と闘いながらあるとき、自分が欲しいものを人に与えていないことに気づきました。人を認めていない自分 評価していない自分 褒めていない自分。
与えてたものが自分に戻ってくる 「因果応報」です。それに気づいてからは、人の良いところを認める、評価する、褒めるということを心掛けています。そうするようになってからは逆に人からそれらを与えてもれらうことが多くなったように思います。そうなると承認欲求に以前ほどこだわらなくなったと感じています。
(甑嶽山 観音寺 仙如)

仏教では「因果の道理」として、どんな結果にも必ず原因があると考えられています。人から認められたいのに承認欲求が満たされないのであれば、人を認めていないという原因があるのかもしれません。自分の承認欲求ばかりに目を向けるのではなく、人を認めて評価することで、自然と自分も認められるようになり、過剰な承認欲求を手放すことができそうです。

承認欲求のベクトルを変えて善行に励むべし

あるお坊さんは、次のようなアドバイスを送っています。

誉められたい、認められたいと言うことは、周りに高評価を得ること。悪事や卑怯なまねをすれば高評価は得られません。つまり、誉められるためには「よいこと」を行う必要があります。
きっかけがなんであれ、あなたが誉められるということは、あなたが良いことをしたからです。
「自己承認欲求」、大いに結構です。誉められるために、認められる為に、どんどん良い事をしましょう。
(不悪口院 恵成)

承認欲求に苦しめられる原因は、「他の人より優れていたい」という優越感に執着してしまっているからでしょう。承認欲求をなくすのではなく「良い欲求をもつ」と発想を変えれば、人と比較する必要がなく苦しめられることもなくなりそうです。

元の問答:承認欲求について

SNSであっても日常生活であっても、人として生きていく上では常につきまとう承認欲求。
しかし、承認欲求をコントロールしてうまく活かせば、自分自身を成長させてくれる大事な欲求になるものです。
SNSの「いいね」に執着してしまうのであれば、一度セーブしてみる。
人から認められることだけに執着してしまうのであれば、人を認めてあげて自分もいいことを積極的に実行していく。
これが、承認欲求とうまく付き合っていくための一番の近道なのかもしれません。

文・hasunoha編集部
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取り返しがつかないことをしてしまいました

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有り難し有り難し 12
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