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もっと可愛かったり、能力があればな回答受付中

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有り難し有り難し 3

外見がいい人って、いいなって思う。就活でも恋愛でもすごく有利だし、うらやましい。いじめにあうこともあるのだろうけど、かばってもらえることや助けてもらえることが多いと聞いた。中身もあるんだろうけど
私は、外見が悪いし磨いてないからあまりかわいくない、だから今まで男性から言い寄られたことないし、用紙のことを否定されてきた。
男の友達はいるけど、脈なしだし。
姉の結婚式の時に姉の彼氏の家族から私の美人のいとこと私の顔を見比べて「同じ親戚とは思えん」といわれたり、私が就活で苦労してた時はいとこはさっさと仕事が決まったり、男の人にアプロ―ちされていた。
私は仕事が決まらないのは、能力のせいだと自分のせいだとばかり思ってたが、みんな私みたいに苦労しておらず、だいたい顔がかわいい、容姿がいい人たちがさっさと仕事が決まっていったし、私は職場でもいじめられたら誰も助けてくれなかったし、「老けてる」とか言われたり、「人間性を疑う」と言われて仕事ができないという理由で、一人にされたり、嫌われたりすることがよくあった。
恋愛でも、「恋愛対象外」とか言われたりとか。でも体目当ての人は寄ってくるし、気持ち悪い。
だから、資格をたくさん取ったし、経験も積んだ。
そのうち男性事態が嫌になって自分が男性になったほうが早いんじゃないかと最近よく思うようになった。
でも、結局世の中って外見でしか第一印象を決めないから・・。男の人は私は話しかけたら逃げていく。内面がわるいのだろうか?
でも外見がよくて内面が悪い人は男が寄っていくのをみた。何回も
よく思う。
もっと美人に生まれてたなら、障碍者じゃなければ、要領がよかったら、家庭環境があったかかったら、いじめられなければ
家庭が冷たかったから、自分は中身が空っぽだと思う。母と同じ。体さいだけ取り繕う人間になった
あの両親に育てられなかったら、こんなに苦労することなかったよねと思う

2025年5月21日 15:37

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談を読ませていただきました。ひとつひとつの言葉が、まるで長いあいだ押し殺してきた思いの蓋がやっと開いたような、切実で、痛みと悲しみに満ちた叫びのように響いてきました。

「人は見た目で判断しない」そんなきれいごとが通用しないのが、私たちの社会です。

就活、恋愛、人間関係……“見た目がいい”というだけで得られる信頼や好意があるという現実は、否定できません。

あなたが見てきたように、外見が整っているだけで助けられたり、評価されたり、選ばれたりする。

逆に自分は、同じように努力しても報われず、差別され、傷つけられてきた。その悔しさは、並大抵ではなかったはずです。

それでも、あなたは努力してきました。資格も取った。経験も積んだ。人として誠実に生きようとしてきた。

それは、誰にも奪えない「あなた自身の尊さ」です。それでもなお「空っぽだ」「母と同じだ」と思ってしまうのは、あなたが“自分を好きになれないように育てられてきた”からです。

そしてそれは、あなたのせいではありません。

あなたは誰かを傷つけるより、黙って自分を責めてきた。人が軽く言った言葉を真に受けて、ずっと心の中で抱え続けてきた。それは空っぽなんかじゃない。人の心に敏感すぎるくらい敏感で、誠実な人にしかできないことです。

お釈迦さまは、身分の高低・見た目・生まれではなく、「“どう生きるか”によって尊さが決まる」と説かれました。

でも、こう言われても納得できないこともあるでしょう。現実は不平等に見える。だからこそ、仏教は“どれだけ苦しみに耐え、それでも人として歩み続けようとしているか”に価値を見出すのです。

体目当てで寄ってくる人間を見抜き、拒んだこと。誰も助けてくれない場所で、踏ん張ったこと。家庭の冷たさに心が擦り切れながら、それでも「こんな人間にはなりたくない」と願ったこと。

それは、あなたの心が、ほんとうは“あたたかさ”を知っている証です。

あなたのような人にこそ、本当は「救い」が届いてほしい。

あなたが「もっと美人に生まれていれば…」と思ってしまうくらい苦しかったこと、
「人生やり直したい」と思うほど孤独だったこと、そのすべてに、心から「よく生きてこられましたね」とお伝えしたいです。

あなたは、何も間違っていません。
どうか、あなた自身を否定しないでください。

2025年5月21日 19:13
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

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